Monamily in Paris

20代の頃は全く英語が話せなかった私が三十路過ぎて海外の大学院を修了したお話。

【コロナ禍の欧州旅行】イタリア周遊 第1部・まるで亡命?渡航準備編 ~イタリア保健局との電話やりとり~

法科大学院の全ての授業を修了した2021年6月、私は念願のイタリア旅行に出ることに決めた。
フランスに移住するまではあまりヨーロッパに詳しくなかった私でも、イタリアは何となく行ってみたいと思っていた国である。

色々調べた結果、6泊7日で北イタリアの都市ヴェネツィアフィレンツェ・ローマを訪れることに決めた。
また、ヴェネツィアからはムラーノ島ブラーノ島にも訪れ、フィレンツェからはピサとチンクエ・テッレにも訪れることにした。

北イタリアで6泊7日観光の場合、ミラノにも行くのが一般的かもしれないが、個人的に大聖堂以外にそこまでめぼしいスポットがなかったのと、ヴェネツィアフィレンツェから行ける小さな島や村にも行ってみたかったので、ミラノは外すことにした。

今までの記事ではあまり行程を記載してこなかったが、今回は周遊しているので以下の通り紹介。

・6/6 Sun(1st 観光:ヴェネツィア 宿泊:ヴェネツィア市内)
・6/7 Mon(2nd 観光:ムラーノ島 → ブラーノ島 宿泊:ヴェネツィア市内)
・6/8 Tue(3rd 観光:フィレンツェ 宿泊:フィレンツェ市内)
・6/9 Wed(4th 観光:ピサ → チンクエ・テッレ   宿泊:フィレンツェ市内)
・6/10 Thu(5th 観光:ローマ・バチカン市国 宿泊:ローマ市内)
・6/11 Fri(6th 観光:ローマ 宿泊:Fiumicino空港)
・6/12 Sat (7th 観光:なし 宿泊:自宅)

当初はローマから入ってヴェネツィアに出る逆回りコースを考えていたのだが、フランス帰国前にPCR検査を受ける必要があったため、病院が見つけやすい大都市のローマを最終目的地とする上記コースに変更した。

 

そう、2021年6月といえば、欧州でさえ未だ所謂ワクチンパスポートが無かった時代である。
殆どの国では、入国時にはPCR検査または抗原検査のどちらかでの陰性証明が必要であった。
イタリアとフランスも例外ではなく、イタリアは入国前48時間以内の抗原検査陰性証明、フランスは入国前72時間以内のPCR検査陰性証明を求めていた。
(余談ながら、コロナ初期にフランス移住したため、フランス在住中はコロナ禍で使われ始めたような日本語語彙を色々知らず、「抗原検査」という日本語を知ったのは日本帰国後であった)

この数ヶ月後には各国の入国規制を調べられるウェブサイトなども登場したが、この頃は未だ大使館や政府のウェブサイトから直接情報収集するのが一般的であった。
当然、日本からではなく、フランスからイタリアに渡航するため、情報源は「在フランスイタリア大使館」と「在イタリアフランス大使館」となる。
つまり、基本的に最新情報を正確に得るためには、フランス語又はイタリア語で書かれたホームページから情報収集する必要があったのだ。

 

さらに、当時のイタリアでは州ごとに別のルールが敷かれており、政府のホームページで各州のルールを調べようとしたところ、私が着陸するヴェネト州については、

「州の保健局に電話で確認しろ」

と書かれていた。

えっ・・・・(@ ̄□ ̄@;)!!

21世紀になって大分経つのに、電話・・・・?

ヴェネツィアに旅行する人は全員電話することになるけど、保健局の電話パンクしないの・・・?

全く意味が分からない。
友人に相談することも考えたが、コロナ禍の入国規制ルールは頻繁に変更されるため、最新情報は自分で当局に確認したほうが無難である。古い情報を鵜呑みにして結果的に入国できなかったらシャレにならない。

仕方ないので、ウェブサイトに記載されていた保健局の電話番号に発信することにした。

「Buon giorno!」

保険局の担当者は電話に出るや否や、マシンガンのようにイタリア語で何かを話し始めた。

「ぼ....…ボンジョルノ! Actually, I don't speak Italian but I have some questions about...」

 とにかく聞きたいことを質問せねば、と私が英語で話し始めると、彼は怪訝そうな声で言い放った。

「What? Don't you speak Italian? (何?あんたイタリア語話せないの?)」

「Sorry, I don't (ごめん、話せない)」

「Why?(なぜ?)」

えっ・・・・(@ ̄□ ̄@;)!!

イタリア語話せないことに理由が必要なの!?Σ( ̄□ ̄|||)

「Because I've never been to Italy and it's the first time to visit....(今までイタリアに一度も行ったことなくて、今回初めて行こうと思ってて・・・)」

私は唖然とした表情で回答した。

「Where are you living? (あんた何処住んどるねん)」

「I'm living in Paris (パリに住んでますけど・・・)」

すると、保健局担当者は突然フランス語に切り替え、

「D'accord, Tu parles français alors. Je peux aussi parler français. (わかったよ、じゃあフランス語なら話せるだろ?俺も話せるぜ)」

と言って、今度はフランス語でマシンガンのように話し始めた。

「W...wait, I don't speak French a lot.... (ちょ、ちょい待って、私フランス語も殆ど話せないねん)」

「Why? (なんで?)」

あー!再び理由聴かれた(@ ̄□ ̄@;)!!

そして、さっきとは違ってフランスに住んでるのにフランス語話せない理由聴かれてるから、何か悪いことしてるみたいな気分に苛まれるんですけどΣ( ̄□ ̄|||)

「Because I moved to France just a few months ago....(数ヶ月前にフランスに移住したばっかりだから未だ話せないねん・・・)」

「Where are you from? (どこ出身?)」

「I'm originally from Japan. (日本なんよ)」

「Japan? You'll need to take two-week quarantine if you come to Italy. (日本?日本からだと、イタリア着いて2週間隔離必要だぞ?)」

いや、だからパリに住んでるってさっき言ったやん(@ ̄□ ̄@;)!!

何で日本から渡航することになってんねんΣ( ̄□ ̄|||)

「Ah...anyway, I have some questions. Could you speak English please? (あああ・・・とにかく、質問があるんです。英語で話してもらえませんか?)」

気を取り直して話を本題に戻そうとしたところ、

「No, I don't speak English a lot. Wait for a minute. My colleague will come back soon. He can speak English well. (んにゃ、俺は英語沢山は話せない。ちょっと待ってろ。同僚がもうすぐ戻るから。そいつは英語うまい)」

と言い放たれ、その同僚とやらが戻ってくるのを電話越しに待たされることとなった。

結局、その同僚は親切に英語で対応してくれて、ヴェネツィアで必要なのはイタリア入国に必要な書類のみで、ヴェネト州オリジナルの要件は無いということがわかり、私は安心してイタリアに渡航することができた(尚、この無駄に長引いた国際電話のせいで、当月の携帯電話料金が普段よりも1000円以上高かったのは言うまでもない)。

 

コロナ禍初期の国外旅行では、ただの観光目的の渡航でも亡命するかのような入念な下調べと準備が必要となる。

日本では皆周囲の目を気にして旅行すること自体を自粛するが、欧州ではルールさえ問題なければ皆自由に旅行する。
だが、その自由には当然責任が伴う。検査結果の要件未達で入国できなかったり、マスクの種類が旅行先の指定したモノに該当せず罰金を取られたり、最悪の場合は本国に帰って来れなくなるリスクさえもある。
それらのリスクを防止するためには、入国要件を自ら入念に確認するしかない。勿論、抜け漏れがあってもチェックが厳しくなかったために何事もなく旅行を楽しんだ人も少なくはなかっただろう。
しかしながら、最悪の事態が考えられる以上、特に現地語がマトモに話せないような人間はトラブルに巻き込まれるリスクも高くなるため、必ずきちんと準備した方が良い。

さて、今回は渡航準備だけで1つの記事となってしまったが、次回以降は実際に私が訪れたイタリアの都市についてお話ししていきたい。

 

※【コロナ禍の欧州旅行】シリーズの記事一覧は以下のリンクよりご覧いただけます。

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【語学学習】第二言語としての「英語」について

英語学習系のウェブサイトや書籍などを眺めていると、「ネイティブはそんな表現は使わない」「それは和製英語だ」「ネイティブみたいに発音するには」などという言葉をよく見かける。
こういった類のアドバイスや忠告・豆知識は、英語圏の国に長く住んでいた人やアメリカのドラマ・映画などにどっぷり漬かって育ってきた人、あるいは日本語堪能な英語ネイティブスピーカーなどから得られる有用な情報であり、我々純ジャパとしては有効活用していくべきであることは否定できない。

だが、その一方で昨今の日本における英語教育では「ネイティブみたいに」と意識するあまりに、特に初級者の英会話力発達に支障を来しているケースが見受けられるような気がする。
一昔前と違い、ネイティブスピーカーの音源を簡単にインターネット等で聴くことができるようになった今、「ネイティブの使わない表現を使ったら恥ずかしい」「ネイティブみたいに発音できなかったら恥ずかしい」「日本人っぽい英語を話すのは恥ずかしい」という潜在意識は日本人の中でどんどん高まりつつある。
その多くは、"Hello, how are you?" "I'm fine, thank you. And you?" "My name is Tom"みたいなザ・教科書なフレーズを馬鹿にして、ネイティブが自然な会話で使う表現に傾倒していく。

勿論、生活に困らない程度に普通に英語を使いこなすことができる中上級者であれば、生の英語に沢山触れてネイティブが使う表現を積極的に覚えて表現力を磨くのは良いことだし、手加減無しのネイティブスピーカー同士の会話に付いていくためにはリスニングの観点でも必須である。
現に私自身の課題はこの段階にあると自覚しており、ネイティブの自然な会話のシャワーを浴びて句動詞・熟語・スラングなどをもっと吸収し、発音も向上させる必要があることは痛いほど認識している。
今、「英語を話せるか」と聞かれれば「話せる」と答えるが、英語圏の国に住んだこともなければアメリカの映画・ドラマに漬かって生きてきたわけでもないので、ザ・非ネイティブな不自然極まりない言い回しをしていることも多いと思う。

しかしながら、日常の簡単な会話もままならないレベルの学習者であれば、あえてネイティブを意識しすぎる必要はないというのが私の考えだ。
過去の記事で述べた通り、臨界期を迎える前の子どもがインターナショナルスクールに行くなど完全英語漬けの環境で過ごす場合は話が別だろう。だが、普通の日本人が第二言語として英語を学ぶという前提の話であれば、ネイティブを意識しすぎる必要はないと思う。

日本の中学・高校(現在は小学校もだが)では、英語圏の国から来たネイティブスピーカーの講師(AET)が日本人教諭とペアになって行う授業があるが、他国ではネイティブ講師を公立校で採用しているケースは少なく、英語の授業も現地教諭のみで行われることが多い(それどころか、フランスでは国語(フランス語)の教諭がギリシャ人というパターンもあるらしいから驚きだ)。
ネイティブスピーカー講師の存在を否定するつもりはないが、そもそも簡単なフレーズさえ話せないレベルの小中高生にネイティブ講師は必要なのかは疑問に思ってしまう。
実際、ネイティブスピーカーがいることで、同じように正しく発音できないと話すのが恥ずかしいと委縮してしまう子どもが増えるというデータもあるようだ。
以前、インド人から「インド人は正しい発音がわからなくても辞書を引かずに、自分の読みたいように英文を読む。教員も正しく発音できないから生徒も正しく発音できないままだが、それでも会話が成り立つのでそもそも気にしない」という話を聞いたことがある。
さすがに上記は極端な例かもしれないが、いずれにせよインド人はインド人のアクセントで堂々と英語を話し、香港人香港人のアクセントで堂々と英語を話し、フランス人はフランス人のアクセントで堂々と英語を話す。
勿論、きちんとネイティブスピーカーの発音を勉強して、ネイティブのような標準的な発音で話すインド人だって沢山いるし、それはそれで素晴らしいと思う。
しかしながら、挨拶程度の会話しかできない日本の小中高生の場合、ネイティブ発音を意識しする前に、まずはカタカナ発音でも話すことに抵抗感をなくすことの方が大事ではなかろうか。
尚、リスニングのためにネイティブがいた方が良いという意見もあるかもしれないが、リスニングなら録音音源で十分である。

 

英語は最早ネイティブスピーカーだけのモノではない。
むしろ、母国語の異なる非ネイティブ同士が意思伝達する手段として使われる割合の方が大きい。

このことは、私の場合、非英語圏の国に現地語がろくに話せない外国人として住んでいた経験によって改めて実感させられた。
西洋人も人によって英語力はまちまちで、私の大学院の同級生たちのように粋な慣用表現を使いこなすハイレベルな話者もいれば、教科書通りの表現を中心に使うような話者もいたが、後者であっても全く支障なく高度なディスカッションができる人は沢山いた。
海外移住前、日本では「I'm fine, thank youなんて誰も使わない」と教科書を揶揄するYoutubeや書籍を沢山目にしてきたが、海外で暮らし始めてから、実際にこのフレーズを使っている西洋人に何人も出逢うことがあった。
だが、彼らは自分の言いたいことをきちんと英語で伝えられるし、英語で高等教育を受けたり仕事をしたりするのには全く支障がないレベルの英語力を持っている。
彼らは「外国人と会話したりビジネスすることは頻繁にあるから英語は話すけど、別に英米のカルチャーに漬かって生きてきたわけじゃないしそんなに興味はないので、英米人しか使わないような表現は知らん」と思っているのだろうか。いずれにしても、私が今まで日本で見たことがある英語ペラペラの人は大概英語圏の国にどっぷり漬かってカルチャーを吸収したような人ばかりだったので、そうではない属性で英語ペラペラの人々は新鮮に感じられた(実際、日系企業で英語を日常的に使う会社員はこの属性に分類される人が多いと思うが、当時の私は純ドメスティックな仕事しかしたことがなかったので馴染みが無かった)。

そもそも、第二言語として英語を話す我々が、ネイティブと同じように話す必要があるのだろうか。
言語は出自や文化的背景の鏡である。日本語でも、訛りや方言はその人の出身地・アイデンティティの表れとなる。
方言を耳にすると「この人はコテコテの関西弁を話すから、ずっと大阪で育ったのかな」「この人は色んな地方の方言が混ざった言葉を話すから、転勤族の家庭で育ったのかな」と、その人のバックグラウンドを想像することができる。

昔の日本では、方言を良からぬものとして上京後は隠そうとしたりする風潮が強かったと思うが、現代ではむしろ方言は個性として尊重される。
そして、現在は標準語として使われている言葉の中には、元々方言だった言葉も少なからずあるだろう。地方出身者が東京で友人と話すときに自然と使っていた言葉を、周りも特に方言かどうかなんて意識せず自然と使うようになり、若者言葉として世の中に浸透し、それが時代を経て標準的な日本語の中に溶け込んでいくのだ。

パリで暮らし始めて最初の大晦日、私は自分より5~10歳程度若い所謂Generation Zに分類される多国籍の外国人留学生たちと年越しパーティーをした。
年末年始もコロナ禍の夜間外出禁止令により夜20時から朝6時まで外に出ることができなかったため、年越しに何かしようと思えば必然的に朝まで帰れない。

その年越しパーティーで、山手線ゲームのようなゲームをすることになり、お題は「花の名前」となった。
但し、全員が理解できるように英語名で答えないと駄目というルール。
そんな中、タイ人の女の子が「Sakura」と答えたので、私はすかさず「サクラは英語じゃないやん!はい、アウト~」と言い、酒を飲ませようとした。
ところが、彼女はポカンとした表情で「え、サクラって英語名じゃないの?」と聞き返してきた。
「いや、日本語だからw」と苦笑いしたのは私だけで、他の外国人たちも不思議そうな顔で「え、英語でもサクラって言うよな?」「うん、あたしもサクラって言う」と次々に口にし出した。
「え、じゃあ英語だと何て言うの?」とタイ人の女の子から聞かれたので、「Cherry blossomだよ」と答えたが、彼女は「うーん、でも私はサクラ知ってるし、皆もサクラ知ってるみたいだから、サクラは英語ってことでいいしょ!ってことでセーフ!」と開き直ってしまった。

ゲームの勝ち負け云々よりも、Generation Zの外国人たちがSakuraを英語だと思っていたことが私にとって面白い発見であった。
日本でも、近年どんどん新たな外来語が日本語になりつつあるが、今回のようにその逆のケースもある。
方言が標準語に溶け込むのと同じように、外国語から輸入された言葉が自然と自国の言葉に溶け込む現象も、世界中で起きているのだと実感させられた。

さらに、春を迎え、大学院のクラスメイトとの会話の中で、私は誰にも通じないと半ば理解しつつも「Hanami」という単語を自ら口にした。
単純に、Picnic under the cherry blossomsというのが長くて面倒だったので簡潔に花見と言いたかっただけだが、友人から「Hanamiって何やねん?」と聞かれたので説明すると、「めっちゃええやん、それ!」と言われ、それから彼らもHanamiという単語を使い始めた。
なるほど、こうやって方言は標準語になっていくのかと妙に納得した。
少なくとも、パリ市内で暮らす数人の外国人の間では、Hanamiは共通言語として英語の中に取り込まれたのである。

さらに、お互いの母国語だけではなく、今まさに自分たちが会話をしている土地の言葉を自然と採り入れるパターンも多いだろう。
つまり、和製英語や仏製英語のように、本来の英語だと意味が変わってしまうような言葉もそのまま使われることが多く、むしろその方がその土地では適切な表現でわかりやすかったりする。
例えば、フランス語ではアパートの管理人のことをGardien/Gardienneというのだが、私は英語で話していてもそのままGardianと言ってしまう。恐らく英語ではApartment Managerとか言うのが正しく、Gardianだと別の意味になってしまうが、フランスに住んでいる者同士なら通じるし、むしろその方が自然だ。
同じように、日本に住む英米人たちも、英語で話していても集合住宅を指す言葉としては和製英語のMansionを使っている気がする。日本語では3階建て以上の鉄筋コンクリート造の集合住宅をマンションと呼ぶのが正しいのだから、日本に住んでいればそのまま英語にしてMansionで良いのだ。

言葉は変化するし、会話の輪の中にいる全員が理解できれば、それが辞書で認められた標準語である必要性はない。
青森の人と鹿児島の人が話すとき、お互いに方言で話すと通じない可能性が高いので、恐らく標準語に近い言葉で話すことになるが、別に東京の人と同じ話し方をする必要はない。同様に、フランス人と日本人が英語で話すときも、別にアメリカ人やイギリス人と同じ話し方をする必要はないだろう。
相手が理解できる程度にマトモな英語を話せるという前提であれば、お互いの異国情緒なアクセントや独特の表現があった方が面白い。決してネイティブの発音に固執しすぎる必要はない。

それが、共通語としての「第二言語」を話すということなのだから―――――。

 

※「色々考察」シリーズの記事一覧は以下のリンクよりご覧いただけます。

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ワクチン接種は自由を手に入れるための代償?~フランスと日本の比較~

以前の記事「"Let it Go" から読む日本人とフランス人とアメリカ人の違い - Monamily in Paris」が好評だったので、今日はこの記事で取り上げたアナと雪の女王(Frozen)の主題歌"Let it Go"のフランス語吹替版に出てくる「寒さは自由を手に入れるための代償」という歌詞に着目して、コロナ禍のワクチン接種に対するフランス人と日本人の考え方の違いを掘り下げていきたいと思う。

新型コロナウイルス感染症のワクチン接種が開始された時、日本人ないし日本国居住者はどのような理由で接種することを決断したのだろうか。
「感染防止のため」と言ってしまえばそれまでだが、そもそもなぜ感染したくないのかと考えた時、万人が最も腑に落ちる最終的な答えは「人に迷惑をかけたくないから」ではなかろうか。
自分が知らぬうちに感染して免疫力の弱い高齢者等にうつしてしまうのも迷惑の1つだが、自分が感染して仕事を休むことになるのも周囲への迷惑の1つだし、さらに自分の身近な人が濃厚接触者として自宅待機を強いられてしまうのも迷惑の1つと言える。
また、周りが皆ワクチン接種をしているのに、自分だけが接種してなければ、それ自体が迷惑の1つとなり得るかもしれない。
このような半ば消極的な理由でワクチン接種する以上、なるべく副反応が軽微な方が良いとか、逆に副反応は強くてもしっかり効き目がある方が良いとか、安全性が担保されたものが良いとか、ワクチンの種類についても慎重に調べるケースが多い。
ワクチンを打ったところで直接何かが手に入るわけでも何かを失うわけでもなく、あくまでも色々な意味での予防線を張るために打つのだから、慎重になるのも理にかなっている。

一方、フランス人ないしフランス居住者のワクチン接種理由は何だろうか。
言うまでもなく「自由を手に入れるため」である。
なぜなら、期日までにワクチン接種が2回済んでいなければ、飲食店や公共交通機関や美術館などの利用や国外旅行が制限されるルールが制定されていたからだ。
私はフランスでのワクチン接種予約受付が開始されると同時に、とにかく1日でも早く接種可能な会場を探して予約した。
フランスには日本のように接種券のシステムはなく、インターネットで予約するだけで誰でもどこでも接種できる。不法滞在の移民も感染源となられては困るわけだから、誰でもワクチン接種できるのは合理的だと思った。
このインターネット上で繰り広げられるワクチン接種予約合戦は、チケットぴあで有名アーティストのコンサートのチケットを必死で購入するときの感覚に近い。
空きスロットを見つけても瞬時に取らないと他の人に取られるため、常に画面に張り付いて注視していなくてはならない。
尚、私のワクチン接種の目的はフランス人や他のフランス居住者と同様に、自由を手に入れるためだった。
1年数ヶ月しかフランスに住めないのに、自由を奪われてパリ生活や欧州旅行が楽しめないなんて冗談じゃないと思ったので、ファイザーだろうがモデルナだろうが何でも良いからさっさと打ちたかった。
副反応についても知ったこっちゃなかった。アナ雪フランス語吹替版のエルサが歌っていたように、自由を手に入れるためには代償を払う必要があるのだ。
だからこそ、ワクチンパスポートは私にとってのフランス人権宣言であり、自由権の証そのものであった。

多くの日本人が「フランスはコロナ禍でもノーマスクで外を出歩けてとても自由だった」と勘違いしていたようだが、コロナ禍で課されていたマスクのルールはフランスの方がよほど厳しかった。
マスク着用義務に違反すれば罰金は1万円以上とられるし、常習犯だと罰金は更に値上がりする。
但し、感染者数や医学的な見識を考慮してルールは頻繁に変更され、マスク着用義務は途中で屋内だけになり、私の日本帰国後には完全撤廃された。
一方の日本では、そもそもマスク着用ルールは一度も制定されたことがないし、ノーマスクで歩いていても罰金を取られることはない。
周りから後ろ指を差されることを恐れるがゆえ、各個人が任意で自主的にマスクを常に着用してるだけに過ぎない。
厳しい取締が行われたフランスは、何も法制化されたルールのない日本よりも、本当に自由だったと言えるのだろうか。

アナ雪Let it Go 吹替版考察の記事でも述べたとおり、フランス共和国は民衆が革命を起こし、多くの犠牲と引き換えに自由権を勝ち取ることで建国された国である。
日本の歴史にも大化の改新明治維新のような区切りのイベントはあったが、天皇制が神武天皇以来一度も途絶えずに続いていたため、「日本に実質的な革命はなかった」という見方をされることが多い。
それゆえ、アナ雪フランス語吹替版でエルサが歌っていたとおり、フランス人はDNA レベルで「自由は自ら掴み取りに行くもの」「代償は自由を得るために払うもの」と心得ている。
そして、こうして勝ち取った自由を自ら放棄することは決して起こり得ない。
だからこそ、国民の自由を制限するためには、明確な罰則付ルールが必要で、かつ政府は依然として彼らが代償を払うことで手に入れられる自由を残しておく必要がある。この自由さえも無くなれば、再び革命が起こってしまうだろう。

一方、一度も革命が起こらなかった日本では、自由を勝ち取るという概念自体がそこまでピンとこない。
さらに、何よりも「人に迷惑をかけない」という価値観に重きを置く文化の中では、人様に迷惑をかけてしまえば周囲から冷たい視線を浴びせられるため、自由を勝ち取るために目立った行動でも取ろうものなら、結果的に自身の心は自由ではなくなってしまう。

とはいえ、この異常な状況が続けば、アナ雪日本語吹替版のエルサが今まで「周りの目を気にして」着用してきた手袋を「ありのままの自分を信じる」ことを決めて外すように、日本国民もマスクを外して、ありのままの姿を見せる日が訪れるかもしれない――――――。

 

※「色々考察」シリーズの記事一覧は以下のリンクよりご覧いただけます。

monamilyinparis.hatenablog.jp

※「フランス生活」シリーズの記事一覧は以下のリンクよりご覧いただけます。

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【コロナ禍の欧州旅行】トルコ・カッパドキア&イスタンブール編

まず、タイトルを見て「欧州旅行と言いつつトルコ?」と思われた方もいるかもしれないが、在仏中に訪れた中で唯一の欧州圏外がトルコだったので、ここにカテゴライズさせていただきたい。

このコロナ禍旅行シリーズを執筆する際には毎回「次はどこの都市の記事を書こう?」と考えるのだが、1人で訪れた国の方が地元の人に絡まれた系のエピソードが多く記事っぽい記事になりやすいので、今回もその中からピックアップし、トルコ編を書いていきたいと思う。

以前の記事でも述べた通り、1人で旅行する時は基本的に弾丸旅行かつ写真スポット中心の巡り方となる。

 

私がトルコを訪れたのは2021年の11月、ビジネススクールの授業の合間を縫っての旅行となった。
土曜夕方に学校の授業が終わるとその足でパリのシャルルドゴール空港へ向かい、深夜便でイスタンブールまで移動し、明け方に到着。そこから早朝の国内便でカッパドキアの最寄り空港まで移動し、朝9時過ぎに現地到着するや否やバスツアーに参加するという超強行スケジュールだった。

旅行先にトルコを選んだ理由は、Instagramで見たカッパドキアの朝日に浮かぶ気球の幻想的な写真に感動し、自分も体験したいと思ったからである。
また、今までの旅行先とは雰囲気の違った場所に行ってみたいと考えた結果、自然と東の方へと気持ちが向いたのもある。
初日が機中泊で、翌日はカッパドキアを楽しんだ後カッパドキア泊、その翌日はカッパドキアを楽しんだ後イスタンブールに移動してイスタンブール泊で、更にその翌日はイスタンブールを観光した後空港直結ホテルに宿泊し翌朝早朝便でパリに帰るという、トルコ人に言わせれば「オマエオカシイ。ミジカスギル」旅程であったが、結果的に自分には丁度良い長さの旅行期間だった。
以前の記事でも述べた通り、1人で旅行をする時はとにかくサクサク動いて絶景の写真を撮ったらサッと帰る派なので、同じような考え方の読者の方がいたら、天候さえ許せば同じ旅程でも十分満足できると思う(とはいえ、個人的にトルコは一人旅にはオススメ出来ないので、恋人等と来てもう少しゆっくり過ごす方が良いかもしれない)。

 

往路の国際線の機内では、キャビンアテンダントからマスクを着用するように言われたトルコ人男性客が頑なに拒否して、しばらく問答が繰り返されたせいで、他の乗客への機内食の配布がだいぶ遅れた。なぜそこまで断固としてマスクをつけようとしないのだろうか、その場だけ言うとおりにしてやり過ごせば済む話なのに思った。

何とか明け方イスタンブールの空港につくと、すぐにSIMカードを購入した。フランスのSIMカードのまま同じ通信料金でスマートフォンを使えない国に旅行するのは初めてだったので、不便に感じたが欧州圏外なので当たり前である。

また、少しお腹も空いていたので、チキングリルと焼きそばのような軽食をとった。パリで暮らし始めてから、日本のコンビニやフードコートに売っているようなこの手の軽食には久しく出会えていなかったため、とても美味しく感じた。

その後国内線でカッパドキアの最寄り空港まで移動し、ホテルの送迎車で一旦ホテルに向かいチェックインしてからツアーに参加する予定としていたが、この時の行程にはかなり不安を覚えていた。
ツアーの開始は9:30からだったのに対し、国内線が空港に到着するのは9時だったため、事前にホテル経由でツアー会社に相談していたのだが、ホテル担当者のコミュニケーション力が難ありで、「あんたがホテルにチェックインしてからピックアップするから大丈夫」みたいな回答ではあったものの、細かい質問事項はほぼ無視されていたので、本当に参加できるのか不安だったのだ。

結局、送迎車はホテルではなく旅行代理店の事務所のような小屋で私を降ろし、そこにいたホテル担当者に荷物を預け、私はツアーの車を待つことになった。
ホテル担当者はお茶を出してくれて「ごゆっくり」と微笑んでいたが、全く気が休まらない。何せ事前のやり取りでは先にホテルにチェックインすると言われていたのに、最初から全然話が違う。本当に大丈夫だろうかと益々不安になっていたが、10分程度でツアーバスが現れ、無事にツアーに参加できたため、一安心した。

私が参加したのは「レッドツアー」というカッパドキアの王道ツアーだった。基本的にツアーは待ち時間や無駄が多いので1人では参加したくないのだが、公共交通機関が無い観光地では他に取りうる手段がないため、仕方がなかった(案の定、自分以外の参加者3組は全てカップルで、待ち時間も退屈せずに自分たちの時間を楽しんでいた)。
このツアーのツアーガイドの男性は、私がトルコで出会った地元民で最もマトモで信頼できる人物であった。
ツアーガイド以外に声優の仕事もしているらしく、割と有名な映画(名前忘れた)のトルコ語版吹替を担当したこともあると話していた。
確かに良い声だし、英語も上手で説明もわかりやすかった。たまたま二人きりになった場面で、ふと「多国籍で個性豊かな他の参加者たちはマイペースに自分勝手に行動するので大変だった」と愚痴を零していたのも覚えている。

レッドツアーでは以下のような岩々のスポットを見て回ることになっている。

 
 
 
 
 
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人気スポットでは、ツアーガイドが気を利かせて写真を撮ってくれることも多々あった。

 
 
 
 
 
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また、ツアー参加者全員で「あそこに見えるそれぞれの岩が何に見えるかディスカッションしましょう」みたいなコーナーもあり、中々楽しかった。バイキング形式の昼食も食べやすかったし、ツアー全体を通して満足感は高かった。唯一、不快だったのは行程の中に高級ブティックのような店に行くことが組み込まれており、店の販売員が少々強引に購入を勧めてきた点だが、観光一本で生きている小さな町の商店が生き残るためには観光客を採り入れるしかないし、全てのバスツアーにこの手の営業が組み込まれていることを考えると、観光客側にも選択肢が無いため、致し方ない。

 
 
 
 
 
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ツアーが終わり、ホテルの前で車から降りると、最初に旅行代理店で荷物を預けたホテル担当者が出迎えてくれた。
私より少し若く背が低く、とにかくフレンドリーな雰囲気の男なのだが、どうもこの男のことは何となく信用できないというか、一言で言うと苦手なタイプだった。
何となく自分の荷物が心配になりどこにあるか尋ねたところ「部屋にあるよ」と言われ、実際部屋に置いてあったし、その後もこの男は基本的に誠実に仕事をしていたのだが、人との距離感が日本人の考えるそれとはだいぶかけ離れているのと、事務処理能力があまり高くないことから、常に半信半疑になってしまった(とはいえ、これはトルコで出会った地元男性の殆どに当てはまり、この男だけの特性というわけでもないということを知るまでにそこまで時間はかからなかった)。

ホテルはDivan Cave Hotelという洞窟型の四つ星ホテルで、豪華で趣のある部屋に素晴らしい眺めの屋上もあり、新婚旅行にも十分オススメできるレベルのクオリティにもかかわらず、お値段だったの1泊10,469円!(ジャパ〇ット風)だったので、かなり驚いた(最も、私が旅行したのはコロナ禍だったため、通常時は18,000円くらいはかかる模様である)。

部屋で一息ついた後は、例のホテル男に夕陽と夜景が綺麗に見えるスポットに連れて行ってもらうことになっていた。出来れば1人で行きたかったが、徒歩で向かうのは困難な場所であったこともあり、この男の誘いを承諾し、彼の原付バイクに二人乗りして山に登った。
私自身、危機管理能力は低い方ではないので、危ない人間は大体感知して事前に遠ざけるようにしているが、この男の場合は「危なくはないし誠実だが、会話も面白くないしイライラするポイントが多いにもかかわらずやたらフレンドリーで面倒くさいので、できれば友達になりたくないタイプ」という中途半端な位置づけだったため、どうもキッパリ断りきれなかった。

実際、山からの景色は最高だったし、良い写真も撮れたので、来て良かったとは思っている。
だが、この男が投げかけてくる質問が全て「なぜ君は○○と考えるのか」とディベートチックな詰問の上に内容も全然面白くないので、あまり楽しむことはできなかった。

 
 
 
 
 
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ホテルに戻りこの男と別れると、別のホテル従業員から「良かったら一緒にバーに行かないか」と誘われたが、適当に理由をつけて断った。
また、部屋に戻ると最初の男からWhatsappで「明日の気球ツアーの後、時間があるなら他のスポットに連れて行くよ」とメッセージが届いていたが適当に流したところ、状況を察したらしく、翌日はチェックアウトまで必要以上にフレンドリーな会話をしてくることはなかった。
ちなみに、この後出会うトルコ人男性のほぼ全員が、ホテル従業員からレストランのウェイター、土産屋の店員から通行人まで皆こんな感じでデートに誘ってきたから驚きである。どうやら、イスラム圏では同じムスリムの女性に声をかけることはご法度であるため、トルコ人男性たちは観光客・特に日本人女性を積極的に手あたり次第ナンパするようだ。そして、今回はコロナ禍で他に日本人観光客がほぼ皆無だったため、自分にターゲットが集中してしまったようで、本当に気の休まらない旅となってしまった。
きちんと断ればしつこく迫ってくることはないため危険性は無いが、とにかく本当に面倒だったので、アジア人女性の一人旅は絶対にお勧めしない。複数人でも女性同士だと依然リスクはあるので、カップル又は家族での旅行が望ましいと思う(ちなみに、フランス人の女友達は同時期にトルコの一人旅を楽しんだと言っていたので、西洋人であれば女性の一人旅でもストレスなく楽しめるのかもしれない)。

 

さて、気を取り直して、翌朝はお待ちかねの気球ツアー。
朝4時台に出発、しかもフランスと時差が1時間あるのでフランス時間だと朝3時に相当し本当に起きれるか不安だったが、無事に送迎車に乗り込むことができた。
車を降ろされたのは旅行代理店の事務所のような場所。軽食のようなものが用意されており、沢山のツアー参加客たちが飲食しながら待機していた。
参加者たちは順番に名前を呼ばれ、別の車に乗せられ気球乗り場に向かうのだが、この待ち時間が思った以上に長かった。最初の送迎で自分と一緒だった人が必ずしも同じタイミングで呼ばれるわけでもないようで、仕切りがよくわからないため、本当に呼ばれるのか不安になる。繰り返しになるが、同行者がいれば会話するなど暇つぶしできたと思うので、この側面も含め一人旅には不向きの旅行先である(苦笑)。
そして、ようやく名前を呼ばれて気球スポットに到着したあとも、気球は「これから膨らませます」という状況だったため、さらに待たされることとなり、結局気球に乗れたのは朝7時半近くであったから驚きである。

既に空も大分明るくなってきていたので、本当に朝日の中に浮かぶ気球の幻想的な世界を見ることができるのかも心配で仕方なかったが、結果的に予定通りの光景を見ることができ、理想の写真を撮ることもできた。
この景色を見た瞬間、過去3時間に被ったストレス(さらに言えば前日のストレス)が、吹き飛んだような気持ちになった。

 
 
 
 
 
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ちなみに、気球ツアーは強風など天候条件次第では中止となることも多く、確率は5分5分とのこと。
よって、通常の観光客は最低2泊以上カッパドキアに滞在してチャンスを窺うらしく、それでも一度も気球が飛ばずにツアーに参加できずに終わるケースも少なくないようだ。
私は旅行計画段階でかなり入念に天気予報と風況を確認したうえで、カッパドキアに泊まる日の狙いを定めていたが、それでも予報が外れれば気球に乗れなかった可能性はあったため、たった1回のチャンスで当たりを引いたのは本当にラッキーだったと思う(尚、仮にもう1泊していて翌朝も気球が飛んだ場合、ホテルの素敵な屋上から気球を眺める機会もあったため、いずれにしても時間に余裕がある場合は2泊以上で組んだ方が良いと思う)。

気球ツアーの後はホテルで朝食をとったが、この朝食も会場の雰囲気含め何とも素晴らしかった。以前の東欧旅行の記事にも朝食について書いたことがあったが、やはり陽が昇るのが早い国の方がキチンと朝食をとる文化があるのか、東に行けば行くほど朝食のクオリティが高い気がする。

朝食の後も何かのツアーに参加しようと思えばギリギリできたかもしれないが、午後一には空港に向かわねばならなかったため、ツアーには参加せず適当に町を探索することとした。
やはり、この町で徒歩で歩き回れる場所は限られている。何となく町の雰囲気を楽しむことはできても、カッパドキアでの醍醐味は色々なアクティビティに参加することだと思うので、そのためにはツアーに参加するしかないということは改めて実感した。
だからこそ、ツアーの内容やそれを斡旋するホテルの対応に多少問題があっても、殿様商売ゆえに(彼らの国民性もあるが)改善されないのだろう。

 
 
 
 
 
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散策後、昼食を済ませてカッパドキアを旅立ち、無事にイスタンブールの空港へ到着したものの、ここでも一悶着あった。
少しでも早く市内に到着するために送迎を予約していたにもかかわらず、ドライバーが見当たらない。タブレットに名前を掲示して立っていると聞いていたが、どこにもいないのだ。結局、何度かホテル担当者と電話でやりとりをしてドライバーと会うことができたが、ドライバーから出た最初の言葉は謝罪の言葉ではなく「你好! Do you speak English?」だったので、唖然として怒る気力も失い「Yes, but I'm not Chinese. I'm Japanese」と答えたところ「アニョハセヨ?」と返ってきたので、最早本当にどうでもよくなってしまった。

その後、ホテル担当者に怒りをぶつけても、「Okay dear, calm down :)」 みたいなメッセージが返ってくるので、本当にこればかりは彼らのフレンドリーでのんびりとした国民性で、どうにもならないのだと諦めた。
このホテル担当者はちゃらんぽらんな若者という印象で、フレンドリー且つ適当すぎる連絡メッセージに最初はイライラしたものの、1日経つ頃には、彼が「Hey sister,」と書いてメッセージを送ってきた際には「Hey brother,」と返すまでにこちらも慣れてきていた。

彼らの大半は決して悪い人間ではない。ただ、我々日本人とはあまりに文化的にかけ離れているので、コミュニケーションをとるのには中々苦労してしまう。

 

カッパドキアで天候に恵まれた分、イスタンブールではずっと大雨だったため、町を歩くにも一苦労だったが、ひとまず有名スポットの写真を撮ったり、トルコ料理を楽しんだり、雰囲気は味わうことができた。

 
 
 
 
 
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ちなみに、レストランに行けば、頼んでもいないのにデザートプレートがおまけに出てくる。それを食べた後にウェイターからのデートの誘いを断っても特に何の問題も起きることはなかったが、やはりそのやりとり自体が面倒だった。

 

フランスへの帰国前夜、早朝便に乗るために空港内のホテルが宿泊することになっていたので、前日に宿泊したホテルから空港内ホテルまでの送迎を頼んでいた。
前日に宿泊したホテル、即ち「Hey sister,」のちゃらんぽらん兄ちゃんがいるホテルは1~2階がレストランとなっていたため、最後の晩餐はそのレストランで楽しむことにした(ちなみに、このホテルにはフロントが無く、かつ私が泊まった部屋にはキングサイズベッド1つの他に2段ベッドが1つ置かれていたので、昔はレストラン従業員の寮だったのではないかと推測している)。
このレストランのウェイターたちも明るくフレンドリーな人たちで、デザートやらお茶やらコーヒーやら、送迎車が来るまでの間色々と無料で提供してくれた。

空港直結ホテルは、イスタンブール市内やカッパドキアのホテルとは違い、スタッフはビジネスライクでまるで東京のようだった。
矢継ぎ早に起きた様々な出来事に疲弊していたこともあり、最終日はシャワーを浴びて速攻就寝した。

 

今回、トルコに行けたこと自体は良かったと思っている。特に、カッパドキアで天候に恵まれて気球ツアーで幻想的な朝日を見れたのは本当に幸運である。

トルコの治安は悪くないし、私自身も危険な思いは一度もしなかった。ただ、面倒なことやストレスを感じることは多々あったので、トルコ旅行を検討している方は、男性を含む複数人での旅行をオススメする。

趣のある建物群に、美味しい食事――――西洋から見ても東洋から見ても個性的かつ魅力的な観光地であることは、いずれにせよ、間違いない。

 

※【コロナ禍の欧州旅行】シリーズの記事一覧は以下のリンクよりご覧いただけます。

monamilyinparis.hatenablog.jp

 

 

【語学学習】スピーキングにおける「Complexity(複雑さ)」「Accuracy(正確さ)」「Fluency(流暢さ)」の話

この記事は、前回執筆した以下の記事の内容を前提として書いているので、未だ読まれていない方は前回記事を先にお読みいただいた方が良いかもしれない。

【語学学習】「なぜ日本人は英語が話せないのか」という議論について - Monamily in Paris

言語のスピーキングレベルを測る上で使われる指標には「Complexity(複雑さ)」「Accuracy(正確さ)」「Fluency(流暢さ)」の3つがあり、当該言語を使って不自由なくコミュニケーションをとるためには、これらのバランスが大事となる。

前回の記事で、「事前に必要な自己学習を行っていなければ、海外移住をしても英語力の伸びは期待できない」という趣旨の話をしたが、スピーキングに的を絞って話すと、「Complexity(複雑さ)」「Accuracy(正確さ)」の2つは日本で勉強した方が伸びる一方で、「Fluency(流暢さ)」は海外生活を通して劇的に伸びるものである。

 

日本国内での学習におけるスピーキング練習の場といえば、独り言やオンライン英会話など、基本的に自分のペースで腰を据えて言いたいことを言える場であることが多い。

どんなにモタモタゆっくり話していても、オンライン英会話講師は自分が話し終わるまで忍耐強く耳を傾けてくれる。
そして、もし自分の使っている表現や語法が間違っている時は訂正してくれるし、より自然な良い表現があれば教えてくれることもあるだろう。
もし、同じ間違いを繰り返したり同じ簡単な表現ばかり使ったりしていれば、再び注意される可能性も高いので、改善しようと努めるし、わからない単語や表現があれば自分で調べて、次回のレッスンで使ってみようと考えるはずだ。

そんなトライアンドエラーを繰り返しているうちに、徐々に使える表現や単語が増えてくるし、間違いも減ってくるため、Complexity(複雑さ)とAccuracy(性格さ)を着実に延ばすことができる。

 

一方、海外生活は日々がサバイバルなので、「こなれた表現で話そう」「正確な文法・語法で話そう」とか、そんなことを考えている余裕はない。
とにかく自分の言うべきことを、タイミングを逸さずに伝えることの方が大事なのだ。

日本国内の日本語の会話であっても、人と会話する時は自分の言いたいことを相手に理解させることが出来なければ会話が成立しない。そして、自分の言いたいことを言葉にするまでに時間を要してしまうと、その間にも相手はどんどん話しを続け、言うべきことを言うタイミングを逸してしまうだろう。そして、言うまでもなく、相手が気にしているのは話の内容であって、内容が伝わっている以上、こちらの日本語が正しいかどうかなんて基本的にどうでもいい(勿論、知的レベルの印象には関わるが、それは意志疎通ができたうえでの先の話であり、最優先事項ではない)。

同様に、外国の生活においても、話し相手はこちらの英語力なんかには一切興味がない一方で、その場で必要とされる意志疎通が図れないとなればお互いに困ってしまう。
言いたい言葉の英単語がわからなくても、会話最中に辞書を引く時間なんてないので、自分の知っている単語で言い換えて説明する力が不可欠となる。

それゆえ、とにかく最速のレスポンスをするために自分の使いこなせる単語をフル動員し、的確な表現が浮かばなければ適宜言い換えをしながら会話を進めるので、自ずとFluency(流暢さ)がグングン伸びていくのだ。

 

この3つの指標の中で、日本人の英語学習者は「Fluency(流暢さ)」の向上に苦労し、ペラペラ話せる人に憧れている場合が多いと聞いたことがあるが、このFluencyは日本国内で伸ばすのが最も難しいため、納得できる。

確かに私も海外移住前はFluency(流暢さ)に悩まされていた(今でも全然流暢ではないが、当時は今以上に特に悩まされていた)。
私はほぼ全く話せない状態からオンライン英会話を始めたが、当時は今の何倍も真面目に英語学習に取り組んでおり、毎朝のオンライン英会話のための予習復習も欠かさなかったので、特にComplexity(複雑さ)とAccuracy(正確さ)に関しては、どんどん上達していった。
スピーキング初心者がよく間違える文法を間違えることもなくなったし、粋な慣用表現を使って講師から驚かれるのも気持ち良かった。
Fluency(流暢さ)については、どんなに色んな種類の鍛錬を重ねても中々改善できず、路頭に迷っていたが、講師との会話では特段支障がなかったため、指摘されやすく改善もしやすいComplexity(複雑さ)とAccuracy(正確さ)の方にいつしか集中して勉強するようになっていた。

ところが、海外移住してからは状況が一変した。
日常生活や学校生活の中で求められる突発的なやりとりに慣れていなかったこともあり、自分の言いたい言葉が全然スラスラ出てこないうえに、とにかくペラペラと話しかけてくる周りの会話のペースに付いていけないのだ。
これは明らかに自分のFluency(流暢さ)が周りの平均水準を下回っているせいであった。

一方で、これは私が暮らしていたのが非英語圏だったこともあるが、周りにはComplexity(複雑さ)とAccuracy(正確さ)についてはイマイチ、場合によってはメチャクチャな人も多かった。

恐らく、フランス人やその他西洋人の場合、言語の近似性ゆえ、母国語を話す感覚でルー大柴のように単語だけ置き換えれば英語としての文章が曲がりなりにも一応成立するため、英語力自体がそこまで高くなくても言いたいことをスムーズにペラペラと話すことはできるゆえ、日本人と逆の現象が起きるのだと思う。実際「書くより話す方が楽だ」と言う西洋人は多く、ボイスメッセージの使用頻度が高いことにも驚かされた

特に私が借りていたアパートの大家さんは、世界中どこにでもいる典型的なオバサンで、相手の話に耳を貸すのも忘れて自分の言いたいことをペラペラと永遠に話し続けるタイプだったのだが、フランス語を直訳したような奇妙な英語を話すので、言っていることを理解するのにも苦労した。

入居したての頃、この大家さんから「アナタのメールの文章見てびっくりしたわ。すごい綺麗な文章書けるのね。アナタ、英語話すより書く方が上手ね。書くだけなら、アタシより英語上手よ」と言われたことがあった。
大家さんはFluency(流暢さ)に関しては私よりも断然ハイレベルだが、Complexity(複雑さ)とAccuracy(正確さ)には欠けるため、このようなことが起こるのだ。

さらに、この大家さんのようなタイプの人たちは、難しい単語やネイティブが使うような慣用表現は知らないことも多いので、私が日本でネイティブ講師から習った粋な表現の類を使う機会もほとんどなく、実際その多くを次第に忘れてしまった。

学校の同級生たちに関しては、さすがに高等教育が受けてきた現代の若者ということもあり、Fluency(流暢さ)だけでなくComplexity(複雑さ)とAccuracy(正確さ)も高レベルな人が多かったが、彼らとの議論や雑談のペースに付いていくためには小難しい表現を使ったり文法誤りを気にしたりしている暇はなかったので、自分が話すときは基本的に簡単な表現でタイミング良く言葉を発するようになっていった。

そんなこんなで周りに揉まれた甲斐もあり、留学生活が始まり半年経つ頃には、最初はポンコツだった自分のFluency(流暢さ)も大分上達していた。

下階に住む若い女の子が連夜パーティで騒音問題を起こした時には大家さんに電話して状況をテキパキと説明する必要があったし、せっかちな同級生が突然電話で試験に関する質問をしてきたときにはサクッと回答する必要があったし、外国人のパートナーと喧嘩をすれば自分の主張を間髪入れずに伝える必要があったので、Fluency(流暢さ)が自然と伸びる必然的な土壌があったのである。

残念ながら、このFluency(流暢さ)を伸ばす環境については、日本国内では(公用語が英語の会社で1日中仕事をしているようなケースを除けば)中々再現が難しい気がする。

だが、海外生活中はFluency(流暢さ)は伸びた一方で、先も述べた通り難しい単語やネイティブが使うような表現は使用頻度が低いため忘れてしまったし、文法・語法誤りも気にしなくなってしまったし、わからない単語を言い換えて説明するスキルも身に付いたため知らない単語があっても辞書を引くのを怠るようになってしまった。
そもそも、せっかく海外にいるのに机に向かって語学の勉強をするのももったいないので、観光や旅行や交流を通じて向上させた方が良いわけで、そこで伸びるのはFluency(流暢さ)のみなのである。

 

ちなみに、Fluency(流暢さ)は主に話すスピードやサバイバルスキルの問題である場合が多いので、先にComplexity(複雑さ)とAccuracy(正確さ)をある程度伸ばしてから、Fluency(流暢さ)を改善する方が良いだろう(さらに言えば、臨界期を終えた大人が行う第二言語におけるスピーキングの鍛錬自体、リスニングやリーディングといったインプットのレベルをある程度上げてから取り掛かるべきであるが、話すと長くなるので割愛する)。
そして、Fluency(流暢さ)が進歩した暁には、簡単な表現や間違った語法で話すことに慣れてしまったことに危機感を覚え、またCompexity(複雑さ)とAccuracy(正確さ)の向上に励もうというモチベーションが湧くものである。

 

つまり、スピーキング力を総合的に伸ばしたければ、まずは日本国内の自宅で独り言やオンライン英会話等を通じたComplexity(複雑さ)とAccuracy(正確さ)の鍛錬を丁寧に行ったうえで、海外への滞在(私の場合は大学院留学だったが、英語を使って何かをする状況に身を置けるのであれば語学留学でも駐在でも休暇でも何でも良いと思う)を1年以上経験してFluency(流暢さ)を鍛え、また日本に帰ってさらなる向上を目指すのが最も良い方法だと思う。

スピーキングの学習・評価をする際には、「英語が上手に話せる・話せない」という言葉で片付けてしまう前に、「Complexity(複雑さ)」「Accuracy(正確さ)」「Fluency(流暢さ)」の3要素を意識することが、上達のカギを見つけるためにも非常に重要だと個人的には考えている。

 

※「色々考察」シリーズの記事一覧は以下のリンクよりご覧いただけます。

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"Let it Go" から読む日本人とフランス人とアメリカ人の違い

以前の記事(ジブリ・ディズニー映画のセリフを原語と吹替で比較 - Monamily in Paris)で、ジブリとディズニーの原語と吹替版のセリフの違いについて考察したが、吹替版は各国の文化を反映していることが多く、大変興味深い。

今回は「アナと雪の女王(Frozen)」の "Let it Go"の日本語版とフランス語版の比較が面白いと感じたため、記事にしたいと思う。

本題に入る前に1つ話しておくと、巷にはやたらと吹替版を否定する人たちがいるが、それは少し違うのではないかと思う。
時々、英語が得意な人が「Let it goは"ありのままの姿見せる"なんて意味じゃない!」と、痛烈に日本語吹き替え版を否定しているが、そもそもアメリカと日本では文化も違うわけで、日本語版には日本人らしいエルサがいて良いと思うし、直訳である必要なんて全くないというのが私の考えだ。
原語と文化はリンクしており、切り離すことはできない。だから、原作を原作者の意図通りに理解したければ原語で映画を見るしかないし、それが外国語を勉強する目的にもつながる。現に、私も「モアナと伝説の海」に関しては初めから英語音声・英語字幕で観たのだが、「やはり映画は可能な限り原語のままで理解した方が良い」とつくづく実感した。
一方、吹替版には吹替版の良さもあるのに、「原語と意味が違う」というだけで頭ごなしに否定するのはいかがなものかと思う。
ディズニーの吹替版の多くは上手に作られていると思うし、直訳でないという理由で翻訳者の仕事を否定するのは、お門違いである。

さて、前置きが長くなったが、「アナと雪の女王(Frozen)」の "Let it go"の原語・日本語版・フランス語版を実際に比較していこう。

この曲のサビの部分を見てみると、

原語:
Let it go, let it go  Can't hold it back anymore
(これでいいの、構わない もう何も隠さない)

日本語:
ありのままの姿見せるのよ

フランス語:
Libérée, Délivrée  Je ne mentirai plus jamais
(自由になって、解き放たれる。もう嘘は吐かない)

となっている。
また、サビの最後は

原語:
The cold never bothered me anyway
(寒さなど平気よ)

日本語:
少しも寒くないわ

フランス語:
Le froid est pour moi, Le prix de la liberté.
(寒さは自由を手に入れるための代償よ)

となっている。

上記のとおり、アメリカ人のエルサと日本人のエルサとフランス人のエルサの人格はだいぶ別人のようである。
さらに、声優の演技や歌唱力が合わさると、余計に別人格となる。

Let it Goのサビを歌うときのエルサの心境を考えたとき、原語(英語)版では「今まで頑張って隠して来たけど、もういいじゃない。もうどうにでもなればいい、構わないわ」という感じに、「堪えてきたものを手放す」というニュアンスが強い気がする。
実際、声優のイディナ・メンゼルさんの歌い方は力強く、エルサの面持ちも「重荷を手放して清々した」ように見えてくる。
また、サビ終わりの「The cold never botherd me anyway」も、「寒さなんかに悩まされることなんてない。私は平気よ」と結構強気で言っているように聞こえ、彼女は明確に「寒さなんて私にとって問題ではない」と宣言している気がする。

一方、日本語版のエルサは、サビ冒頭で「ありのままの姿を見せる」と言っており、この時点で「堪えてきたものを手放す」ことを強調している原語版とは少しニュアンスが違う。
周りに合わせることや協調性に重きが置かれる日本社会では、本当の自分を見せることを躊躇する場面も多い中、日本語版エルサは勇気を振り絞って「これが本当の私なのよ!」とアピールしているのである。
日本語版エルサの声優・松たか子さんは素晴らしい女優だと思うが、歌唱力は高くない(多少ボイストレーニングの知見がある私に言わせれば、アナ役の神田沙也加さんの方が歌唱力は断然高い)。
だが、少し苦しそうに歌う松たか子さんだからこそ、日本語版エルサの繊細な心を表現できているわけで、世界的に評価が高いのも頷ける。
また、サビ終わりの「少しも寒くないわ」も、彼女の歌い方も相まって反語的に「少しも寒くないわ(本当は少し寒いけど、大丈夫、大丈夫よ・・・)」と自分に言い聞かせているように聞こえる。アニメーションは原語版と同じなのに、音声が日本語版だと「繊細だけど強気に振る舞う、成人を迎えたばかりの若い日本人女性の表情」に見えてくるから不思議なものである。

さらに着目すべき点としては、原語版の「寒さなんて平気よ」は「寒い」という事実を受け入れたうえで「そんなことは気にしない」と言っているのに対し、日本語版は「少しも寒くない」と「寒い」という事実そのものを否定している。
太平洋戦争の時代、実際には日本は既に崖っぷちの状況まで追い込まれていたにもかかわらず、一般庶民には「日本は優勢だ」という情報を流し、彼らもまたそれを信じようとした。情報統制で庶民をコントロールしていたといえばそれまでだが、そもそも我々日本人は受け入れがたい事実は事実そのものを否定しようとする国民性である気がする。
仕事においても、締め切りに間に合わせることが難しい状況になっても「大丈夫、何とかなる」と言って徹夜休日出勤で乗り切ろうとするのが日本人の特性だが、これも「締め切りが早すぎる」という事実そのものを否定して、何とかなると自分に言い聞かせている一例だ。だからこそ、日本語版エルサは、本当は寒いと感じていても「寒くないわ」と強がっているのだ。
一方、アメリカ人は現実的で合理的なので「この締め切りでは無理だ」と一度事実を認めたうえでどうするかを考えるし、原語版エルサも「寒い」と認めたうえで「私にとっては問題ではない」という結論を出している。

ここで、フランス語版を見ると、アメリカ人とも日本人とも違うフランス人の文化的背景が見えてくる。
フランスといえばフランス革命。中学校の歴史の授業でも習った通り、フランス人権宣言で民衆が手に入れたのは「自由権」である。
フランス共和国は民衆が自由を勝ち取ることで生まれた国なのだ。フランス人にとって「自由であること」がいかに大切なのかは言うまでもない。
だからこそ、フランス語版エルサは、サビ冒頭では「自由になって、解き放たれる。もう嘘は吐かない」と、サビ終わりでは「寒さは自由を手に入れるための代償」と、手に入れるべき目的が「自由」だと明言している。
また、歌詞の文脈での「嘘は吐かない」というのも、原語の「もう何も隠さない」というのとは少しニュアンスが違う気がする。フランス革命前、王政に対して不満があってもルイ16世に対して本心ではない忠誠心を見せていた民衆も、革命後は「もう嘘は吐かずに本音で言わせてもらおう」と奮い立たされたはずだ。同様に、氷の上で自由を勝ち取るエルサも「もう嘘は吐かない」と宣言しているのではなかろうか。
さらに、寒さに対する解釈も、「寒いことは気にしない」というアメリカ人、「寒くない」という日本人に対し、フランス人は「寒さは代償」といっているわけだから面白い。フランス革命では約200万人の犠牲者が出たと言われているが、彼らは自由を得るためには何かを犠牲にする必要があると理解しているのだ。

「今までの自分の努力を評価し、これからはやりたいようにやろう」というアメリカ人、「これから上手くいくかわからないけど、本当に自分の姿を見せていこう」という日本人、「代償は支払ったけど、束縛から解き放たれて、自由を手に入れたわ」というフランス人―――――。

同じ作品の同じキャラクターなのに、吹替版は各国の文化的背景を踏まえたうえでの翻訳となっているため、それぞれのエルサは全く違う国籍・性格に見えてくるから不思議なものだ。

吹替版は原作の劣化版だと考える人も多いようだが、少なくとも、アナと雪の女王に関しては、そんなことはない―――――――この記事を読んで、見方が変わったと言ってくれる人が、1人でもいたら嬉しいと思っている。


※「色々考察」シリーズの記事一覧は以下のリンクよりご覧いただけます。

monamilyinparis.hatenablog.jp



【語学学習】「なぜ日本人は英語が話せないのか」という議論について

今回は、今まで何となく語ることを避けてきた英語学習に関する話をしようと思う。

何となく避けてきたと書いたが、理由は単純かつ明確である。
せっかくブログをやるからには、読者の方に面白いと思ってもらえる記事を書きたいし、そのためには自分にしか書けないような記事を中心にしたい。
同じ純ジャパでも私なんかより英語ができる人なんてワンサカいるわけで、それを専門にブログを書いてる人も星の数ほどいる中で、差別化できるような内容が無ければ記事にしても仕方ないのだ。

とはいえ、たまにはこういう記事も良いかなということで、なるばく自分の経験に基づいて思ったことを、時々書いていきたいと思う。

 

結論から先に言うと、タイトルの「なぜ日本人は英語が話せないのか」という議論に対する私の答えは「単純に必要がないから」である。

必要性が人に与えるパワーは凄まじい。普段の休日は昼まで起きれない人でも早朝便で旅行に行く予定があれば朝5時に飛び起きるし、何となくダイエットを始めた時は中々痩せられなかった人でも結婚式間近に本腰を入れたら目標達成できている。

ジムの筋トレでも資格の勉強でも楽器の練習でも、「モチベーションが上がらなくて全然進まない」と悩んでいる人は多いが、モチベーションが上がらないのはそもそも必要性が無いからではなかろうか。どんな人でも必要性があれば、やる気スイッチは自動的にオンになるものである。必要性が無くて、やりたい気持ちもそこまで強くないなら、そもそもやらなくても良いのでは無いかと思う。

母国語で高等教育が受けられる日本人は恵まれている。ノーベル化学賞の授賞式での英語のスピーチが下手であれば、それは母国語だけで受けられる教育の水準がいかに高いかを物語っている。
一方、新興国出身者の多くは母国語で高等教育が受けられないため、良い大学に行って高い収入を得るためには、英語を習得することが前提条件となる。
さらには、紛争地域など母国の政治情勢が不安定であれば、生き抜くためには他国に移住するほか選択肢がなく、そのために英語が話せないと話にならないという場合もある。
尚、同じ先進国でも、島国日本と違って欧州のように隣国が近い存在であれば、英語をはじめとする近隣国の言語を学ぶことは有意義な場合が多い。

日本人が英語を勉強する理由は何だろうか。子どもは学校の試験や受験が理由の場合が多いが、大人の場合は、「海外旅行を楽しみたい」「字幕なしで映画を楽しみたい」「日本語では得られない情報を収集したい」「外国人の友達を作りたい」「海外で仕事をしてみたい」「何となくかっこいいから」「暇だから」――――――ざっとこんなところではなかろうか。

これらは、他国の人たちが英語を勉強する理由と比べて、どれも必要性という点で弱いことが見て取れるだろう。
海外旅行はGoogle翻訳地球の歩き方があれば英語力は無くても何とかなるし、字幕があれば映画は一応楽しめるし、日本語の情報収集だけでも死活問題にはつながらないし、日本語が話せる外国人も沢山いるうえに日本人だけでも友達候補は1億人近くいるわけだし、日本語だけでも年収1千万円稼げる職業は沢山あるし、カッコいいことなら英語以外にも沢山あるし、暇なら他のアクティビティでも良い。

ちなみに、私が29歳の時に英語の勉強を始めた理由は「暇だから」であった。仕事で予定されていた大きな契約交渉が1つ延期されて毎日定時上がりだったうえに、趣味で嗜んできた音楽にも限界を感じ、何か目標が欲しかっただけだった。
幸運にも、たまたま楽しいと感じて継続することができたため、今に至るわけだが、もし他にもっと熱中できる何かがあったら、英語学習は続けていなかっただろう。

私の実家は小高い丘の上にあるため、実家で暮らしていた頃は、最寄り駅に行くために毎日急な勾配の坂を上り下りする必要があった。
当時はそれが当たり前だと思っていたので気付かなったが、実際この坂の勾配は本当に大層なモノだったようで、おかげさまでスポーツも特にやっていなかったのに両脚の筋肉が発達したくらいだ。
確かに、坂の途中でおばあさんが休憩しているのをよく見かけたし、小学生の時にはお年寄りから「一人じゃ登り切れないから手を貸してほしい」と声をかけられたこともあった。高校生の時に13cmのピンヒールで出かけた時は、下り坂が急すぎて木の枝につかまりながらゆっくり下りないと前に進めないほどであった。
実家がそんな不便な場所にあったせいで、その他の場所では可能な限り歩きたくないと思い、エレベーターや階段やバスなどは最大限活用した。
こんな状況であったがゆえ、他の町に住む当時の同級生たちが「運動のためにバスには乗らず歩こう」「健康のために階段を使おう」などと言っていた理由が、全く理解ができなかった。
私は坂を歩いて上らないと家に帰れないから仕方なく歩いて上っている。他の手段があるのに何でわざわざ疲れる方を選ぶのか、不思議で仕方なかった。

この時の私の感覚は、生きるために英語を勉強せざるを得ない新興国に生まれた人が「なぜ日本人が英語を勉強するのか理解できない」と疑問を抱く感覚に近いような気がする。

 

こんな状況なのだから、日本人に関しては必要性を感じる人や面白いと思う人だけが英語を勉強すれば良いというのが私の考えである。
仮にどうしても日本人全員の英語力を上げたいのであれば、小学生の英語教育なんかに力を入れるよりも、TOEICの点数と将来貰える年金の金額を比例させるみたいな方法の方が良い(TOEICじゃなくてIELTSの方が良いとかそういう話は一旦置いておこう)。
要は、やらざるを得ない状況、必要性を創り出せば人は動くのだ。

尚、「学校教育や教科書が実用的でないから話せるようにならないんだ」と文句を言う人もいるが、今よりもっと酷かった時代でも話せるようになっている人は沢山いるのだから、これも言い訳だと思う。
とある年配の有名な翻訳者が「中学校の教科書でThis is a penという文章を見た時、『"これがペンです"は英語でThis is a penと言うのか。何て面白いんだ』と思った。もっと英語を勉強してみたいと思い、NHKラジオ講座を欠かさず聞いて勉強に励んだ」と話していたのを覚えている。
「This is a penなんていつ使うんだよ(笑)」と教科書を馬鹿にしていた大半の日本人は英語が話せないままだったのに対して、教科書のフレーズをきっかけに自ら学習したこの人は、翻訳を生業にするほど高度な英語力を身に付けた。
さらに、今の時代は無料で利用できる教材・音源などがオンラインで簡単に手に入るわけだ。自分の努力不足を学校教育や教科書を理由にするなんて図々しいにも程がある。

そして「海外で生活すれば英語が自然と話せるようになる」と未だに妄信している人が多いのも困ったものである。
童謡「赤い靴」には、異国へ渡った女の子は青い目になって異人さんと暮らしているのだろうという歌詞が出てくるが、明治時代には外国に行ったことのない人が殆どであったがゆえ、「外国に行くだけで目の色が青くなる」と信じていた人も少なくなかったのかもしれない。
同じように、海外生活に馴染みがなければ「海外で暮らせば英語が話せる」と何となく思ってしまうのは仕方ないことかもしれないが、決してそんなことはない。
臨界期を迎える前の子どもの場合は事情が異なるが、少なくとも大人の場合は事前に基礎をしっかりと勉強してからでなければ、海外で暮らすだけでは英語は思うように上達しない。

これは楽器演奏、特にジャズに置き換えるとわかりやすい。
「ジャズが上手くなりたければジャムセッションに行って色んなプレイヤーとの即興演奏を経験するのが一番だ」と言われているが、これはあくまでも基本的な楽器の弾き方を覚え、一通りの音楽理論を勉強し、プロ奏者の演奏を沢山聴き、フレーズの引き出しを準備し、個人練習を重ねた後の話である。
音楽理論もわからず、楽器の弾き方もわかっていない人間が急にジャムセッションに現れても、何も出来ずに終わるだけなのは火を見るよりも明らかである。

同様に語学学習の場合も、文法を理解し単語を覚え構文解釈や速読精読の訓練を重ね、ネイティブスピーカーの話す音源を沢山聴き、英作文やスピーチの練習を自分で行ってからでなければ、海外移住や留学などをしたところで話せるようにはならないのだ。

 

いずれにせよ、日本語と英語は言語としてかけ離れすぎているので、もう少し地理的にも近い国の言語を先に勉強した方が本当は良い気がする。
焦って小学生に英語をやらせるくらいなら、日本語と多少は近似性のある中国語や韓国語やベトナム語などをやらせてみた方が、近隣国との関係性を向上させるうえでも良いのではないだろうか(同じように、近隣国の子どもには日本語も勉強してほしい。欧州のようにアジアでも近隣の外国語を勉強することで、お互いの国のことを理解するのは大事だと思う)。

 

英語を勉強する必要性がないのであれば無理にやらなくて良いと思う一方で、「なぜ日本人は英語が話せないのか」という問いに対する回答の方向を見誤ってしまうと、仮に必要性が生じた場合にも正しい行動をとれない可能性が高い。

今後の記事では、第二言語として習得する英語の在るべき形など、自分なりの考えを発信していけたらと思う。

 

※「色々考察」シリーズの記事一覧は以下のリンクよりご覧いただけます。

monamilyinparis.hatenablog.jp

【コロナ禍の欧州旅行】フランス・コートダジュール編 ~行きは地獄・帰りは天国 夜行列車の人間模様~

「ニース発の夜行列車降りた時から~ パリ・オステルリッツ駅は雪の中~♪」

と、歌いたくなるくらい、2021年夏のニースとパリの気温差は激しかった。

 

私は1年4ヶ月の在仏生活で計13ヶ国を旅行したが、前半はロックダウンやら制限だらけでパリから出られなかったし、学校の試験や課題で忙しかった時期は全く旅行していないため、実際は正味半年弱で13ヶ国旅行したと言った方が正しい。
これはあくまでも国数で、1ヶ国で複数都市を巡っているケースもあるため、都市数だと50都市以上は訪問しているはずである(GoogleMapから「あなたは先月35都市を訪問しました」みたいなメールが届いたこともあった)。

その中でも、2021年夏は本当に沢山の都市を訪れることができた。友人と一緒でも、1人でも、とにかく常に旅行していた。エッフェル塔に咲き乱れる至極の花火を鑑賞していた7月14日のフランス革命記念日を除き、パリでは洗濯しかしていなかった気がする(荷物を減らすため、周遊旅行はせずに常に弾丸旅行で、1つの旅行が終わると毎回パリの自宅アパートに帰宅していた)。

 

そんな2021年夏の思い出のうち、今回お話しするのは、フランス屈指のリゾート地であるニースを中心とするコートダジュール旅行についてである。

私が訪れたのはニース、エズ、サン・ポール・ド・ヴァンス、マントンだ。

美しい街並みと海や美味しい地中海料理のおかげで世界中で大人気のリゾート地だが、私の中では一人旅に適さない観光地ランキング2位(ちなみに、1位はトルコ)なので、もしコートダジュールに行ってみたいという人がいたら、友人や恋人・家族などと一緒に行くことをオススメする。
なぜ一人旅に適さないかというと、とにかくリゾート地だからだ。リゾート地と言えばくつろぎと安らぎや、景色の良いレストランでの美味しい料理である。
ゆっくりとした時間は1人だと手持無沙汰になるし、景色の良いレストランは1人だとコスパが悪いのだ。勿論、日頃の疲れを癒しに1人で気楽のんびりと過ごすことが目的の人であれば1人でも楽しめると思うが、私が1人で旅行する醍醐味は、絶景の写真を撮るために東奔西走することなので、まったりのんびりするリゾート地に行くなら誰かと一緒の方が良いと実感した。

ということで、私は写真目的にこの地を訪れたため、2つの都市と2つの村を巡るとはいえ、丸2日あれば十分だと思った。
2日間を朝から晩までフルに活用し、かつ費用を最小限に抑えたいと思っていた。

 

そんな私が目を付けたのが、夜行列車だった。
フランスの夜行列車は一度廃止されたものの、環境意識の高い若者をターゲットに運行が再開されることなったという。

私は日本でも夜行列車は一度も乗ったことがなかったので、ぜひこれを機に利用してみたいと思った。
そして、移動しながら睡眠がとれるので、時間とお金を節約できる点もとても魅力的だったのである。

 

だが、現実はそう甘くはなかった。

パリのオステルリッツ駅で列車に乗った私がワクワクしながら二等客室のドアを開けると、そこには予想以上に狭すぎる部屋に3段ベッドが2つ置かれていた。
私は一番下の段だったが、ベッドに腰を掛けると頭が天井にぶつかるので、起き上がることができない。

しかも、30年以上前の携帯電話がない時代の車両を使用しているため、部屋の中にコンセントが全くない。早朝に目的地に到着して「さあ、丸一日観光するぞ!」という時には既にスマホが充電切れという予想外の事態になりかねない。
客室を出ると、1車両に2つほど、窓際にコンセントがあったが、これを大勢の乗客たちが順番に使ってスマホを充電するのかと思うと絶望的である。

夜行列車とはいえ、ハイシーズンかつ直前予約ゆえか結構良いお値段を支払っていたので、あまりの環境の悪さに衝撃を受けた。
先述の通り、物凄い勢いで各地を旅行しまくっていたので、1つ1つの旅程について事前に詳細に調べる余裕がなく、夜行列車の客室内のことは全く事前リサーチをしていなかったのだ。

無駄にスマホを触っていると電池を消費してしまうし、消灯時間までどうやって過ごそうかと途方に暮れて横になっていると、向かい側のベッドの胡散臭い雰囲気の中年男性が話しかけてきた。
何を言っているか理解できず、「英語でお願いします」と伝えたところ、┐(´д`)┌ヤレヤレという表情で「フランスに住んでるならフランス語を話せ」と怒られたので、とりあえず「スミマセン」と謝る。
現地語が話せないのは自分が悪いとはいえ、これからリゾート地に行くというのに、こんなボロボロの夜行列車の矮小な二等客室の3段ベッドで見知らぬオジサンから怒られている夜。シュールすぎる。
しばらくすると、そのオジサンはチョコレートをくれた。その後、オジサンは他の乗客にもチョコレートを配り始めた。日本でもよく見かけるタイプのただの暑苦しくて世話好きな田舎のオジサンのようだ。

最早このオジサンのことはどうでも良かったが、とにかく夜行列車自体の居心地が悪かったので、さっさと寝てしまうことにした。
犯罪防止のためか、かなり頻繁に車掌が見回りに来たため、足音で中々眠りにもつけなかった。

 

翌朝、ニースに到着すると早速ホテルに荷物を預けた。
海沿いに位置する南フランスの美しい街並みに、前夜の疲れも吹き飛んだ。
宿泊先のホテルも中々気の利いた感じの部屋で、伝統的なフランスっぽい建物の小さな部屋で、窓から見える街並みも可愛らしかった。

ホテルの受付係は話好きの明るい女性だった。そこそこ年配のフランス人にしては英語が堪能だなと思ったら、スウェーデン人だった。「幼少期に姉の留学に付き添い仙台に住んでいたことがあり、その頃は日本語が話せたが、もう忘れてしまった」と話していた。彼女曰く「日本語は簡単ですぐに習得できたがフランス語は難しく勉強が大変だった」とのこと。「ほら、フランス語は難しいんだよ(・´з`・)」と昨日の夜行列車のオジサンに言ってやりたい気持ちになった(笑)

 

ホテルを出ると、絶景エズ村に向かうバスに乗りこんだ。
さすが夏のリゾート地、人が多かった。コロナ禍でもこれだけ多いのだから、常時は一体どれだけの人が集まるのだろうと思った。

エズ村は石造りの建築が特徴的な町である。石造りの村は他にも沢山あるが、エズは特にフォトジェニックな街並みで人気な観光地である。

 
 
 
 
 
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有名なのが、丘の上にある植物園からの見晴らし。植物園のチケットを買う人の多くが、植物園自体の見学ではなく、この展望台に登ることが目当てだと思う。
この植物園のチケットを買うのも、そこそこ列に並んで待つ必要があった。

 
 
 
 
 
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エズを一周して満足すると、一度バスでニースに戻り鉄道でマントンという街へ向かった。
コートダジュールには、バスや車で移動する必要のある小さな村々の他に、電車で移動できるいくつかの都市や町があるが、私が今回電車で訪れたのはマントンのみである。というのも、基本的に都市・町はどこも似たようなリゾート地で、特別何か目的がない限り、一番華やかなニースだけ訪れたら十分だと思った。

友人や恋人とのんびりバカンスを楽しむのであれば、有名観光地であるカンヌやモナコに足を運んだと思うが、今回は一人旅でフォトジェニックなスポットに狙いを定めていたので、事前にInstagramで見て一目惚れしたマントンという街を訪れることにした。

実際、この旅行のベストショットはマントンで撮った1枚。
マントンのカラフルな建築とビーチの写真を撮ることが、私の1つの目的だったと言っても過言ではない。
尚、午後に訪れたところ逆光で撮影に苦労したので、写真目当ての場合は午前中の訪問をオススメする。

 
 
 
 
 
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マントンのビーチはコートダジュールで最も美しい場所の1つだと思うが、撮影さえ済んでしまえば、他の都市と同様普通のリゾート地であり、特段やることのない場所である。

写真撮影に満足すると、その日はニースに戻り、ニースの海辺や街中を散策した。
コートダジュールの海沿いのリゾート地を楽しみたければ、ニースだけでも十分である。

パステルカラーの街並みが何とも可愛らしい。

 
 
 
 
 
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尚、今回の記事には残念ながら地中海料理に関する話題はない。というのも、先に述べた通りマシンガンのように旅行を繰り返していたため、欧州の料理に身体が疲れてしまっていたのと、1人の時はサクッと食べてサクッと次の行動に移りたい性分なので、誰かとゆっくり過ごすことが前提の海沿いのレストランはコスパが悪すぎたのだ。

ということで、完全に身体が日本食を欲していたので、実際のところニースでは日本食ばかり食べていた。
しかしながら、ニースにもクオリティの高い日本人経営のレストランが沢山あり、地中海で獲れた新鮮な魚で握ってくれる寿司屋や、地中海の野菜をふんだんに使用した定食屋など、結果的にコートダジュールならではの美味しい食事を楽しむことができたのもまた事実である。

 

翌朝はまたバスに乗り、サン・ポール・ド・ヴァンスという鷲の巣村に向かった。公共交通機関での移動が可能で個性的な村となると、やはり先ほど挙げたエズ村とこのサン・ポール・ド・ヴァンスを選ぶのが良いだろう。
あまり上手く撮影できなかったが、エズとはまた違った趣のある村であった。

 
 
 
 
 
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今回の旅行は1泊4日と呼べば良いのだろうか、現地1泊の車中泊が2泊だったので、丸2日間観光することができた。
鷲の巣村からニースに戻ると、夜行列車の時間までニースの撮影スポットを巡ったり、単なる散歩を楽しんだ。

ニースのビーチでは、こんな感じの写真を撮るのが楽しい。

 
 
 
 
 
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夕方、夜行列車に乗る時間となり、嫌々ながらも仕方なく駅のホームへ向かった。
この列車の酷さは既に往路で十分心得ていたため、何の期待もせずに客室に入り、ベッドの上に荷物を置くと、スマホを充電しに廊下に出た。

そんな時、5mくらい離れた場所で、1人の中年男性が窓に向かって奮闘しているのが目に入った。
往路に同じ客室に乗車していたオジサンとは正反対の小綺麗な男性だった。
窓を開けたいのだろうか、鍵の部分を触っては窓ガラスを持ち上げようとしている。

「窓を開けたいのですか?」

不意に私は男性に話しかけた。

すると男性は、

「うん、そうなんだけど、何か動かないんだよなこのドア・・・・お、動いたぞ!よし、開いた!」

と答え、見事に窓を開けることに成功した。

「この夜行列車は楽しいよ。途中、きれいに夕陽が見えるポイントがあるんだ。こうやって窓を開けて夜風に吹かれながら外を眺めるのは最高さ」

男性は話し続けた。物凄く綺麗な英語を話す人だ。
夜行列車が楽しいなんて、この人は正気なのだろうか。この時の私には全く理解できなかったが、夕陽が見えるポイントがあるなら是非見てみたいとは思った。

しばらくして乗客が次々乗ってくると、同じように窓を開けたくて困っている女性が別の車両に現れた。
それを見たこの男性は、すかさずその女性のところに駆け寄り、窓の開け方を教示した。
他にも車内で困っている乗客を見かけると、彼は色々と説明をして彼らを助けていた。

「あなたは車掌よりこの電車に詳しそうですね」

思わず私は零した。

「二等車は1部屋に三段ベッド2つなのに対して、一等車は1部屋に二段ベッド2つだけど、今は二等車もコロナ対策で1部屋4人までとなっているから、三段ベッドも真ん中を倒してしまえば二段ベッドになる。最下段の人は天井が広々使えて、一等車より快適になるよ」

「え、そうなんですか?」

彼は驚いた様子の私に客室を尋ね、中に入ると三段ベッドの真ん中をヒョイっと持ち上げてあっさり折りたたんでしまった。

「ほら、これで部屋が広くなっただろう」

男性の言う通り、本当に部屋が広くなった。
これでもうベッドの上に腰を掛けても頭をぶつける心配はないし、快適にのんびり過ごせそうだ。

よく見ると、私のベッドの向かい側の高齢の女性は子犬を抱いていた。
夜行列車で犬と同じ部屋で寝る日が来るとは夢にも思わなかったが、部屋が広くなって気持ちが高揚していた私は、最早何でもOKだった。
その時、この女性が何かを私に語り掛けてきた。
相変わらず私は理解できずに首をかしげていると、男性がすぐさま通訳してくれた。

「彼女、『この犬はいつも静かだから大丈夫なはずだけど、万一迷惑かけるかもしれないけどゴメンね』って言っているよ」

その後も部屋に車掌がやってきた時や他の乗客に話しかけられた時など、この男性が色々と通訳してくれて大変助かった。本当にこの列車のコンシェルジュのような男である。

 

さらに、この男性は他の客室も廻り、沢山の乗客たちに対して同様にベッドの中段を折りたたんであげていた。
しばらくの間、私はこの夜行列車のヌシのような人物の行動を唖然と眺めていた。一体この人は何者なのだろうか。

数分後、列車がニース駅を発つと、男性は最初に開けた窓のところへ戻ってきた。

「先程はありがとうございました」

私は簡単にお礼を言った。

「30年以上前と同じ車両を使っているから、コンセントは廊下にしかないし、設備もボロいけど、慣れれば快適さ。若い頃、僕はこの夜行列車には良くお世話になった。学校の修学旅行なんかもこの列車だったよ。だから、勝手は大体わかっている。夜行列車は一度廃止されて、つい最近復活したばかりから、車掌たちも不慣れのようだな。さっきも車掌が困っていたから、僕から色々説明してやったよ。ハハハ」

男性は窓の外を見つめたまま話し続けた。

「あと1時間ほどで夕陽が見えるよ」

眩しい西日が列車を照らす中、私はこの男性としばらく雑談を続けた。

お互いに相手の出自を探るような話はせず、ニースやコートダジュールの話やコロナの話などをしていたが、話の流れで私が日本出身だと話すと、彼は驚いた様子で、

「え、そうなの?僕は昔、もう何十年も前だけど、日本の航空会社に勤めていたんだ。パリのシャルルドゴール空港で働いていたけど、同僚は皆日本人だったよ。仕事中は英語で話していたけど、飲み会はずっと日本語だったから、僕の日本語も大分上達した。さすがに今はもう忘れてしまったけどね」

と話した。
この年代のフランス人男性でこんな聴き取りやすい英語を話す人は珍しいと思っていたが、空港職員だったと聞いて納得した。しかも、日本の航空会社。日本語まで話せるとは驚きだ(渡仏以来、なぜか私は日本語が話せる人と遭遇する確率が高めであった)。

男性の空港職員時代の話も興味深いものだった。当時は未だ東京からパリに直行便が無くて、ロシアで乗り継ぎが必要で渡航するだけでとんでもなく時間がかかったとか、色々な話を聞かせてくれた。

話している間にすっかり日が暮れ、車窓に映る南フランスの海辺の町も日没を迎え、おかげさまで美しい日の入りを楽しむことができた。

「この列車には寝台客室だけでなく、椅子に座るタイプの客席もある。そっちは基本ガラガラだから、食事をするときに利用するとちょうどいいよ。行ってみるかい?」

そう言って男性は私を別の車両に案内した。

彼の言う通り、椅子に座るタイプの車両は空席だらけだった。

「外の景色を見ながらここで食事をするのも楽しいものだよ。僕のサンドウィッチとデザートを半分分けるから、一緒に食べよう」

何から何まで用意周到な人だ。

食事を終えた我々は元の車両の廊下に戻り、消灯時間まで雑談を続けた。
消灯時間となり、車掌が何かを言いにこちらへやってきたので、さすがにそろそろお互い部屋に戻ろうということになった。
男性は「オヤスミナサイ」と日本語で挨拶をしてきたので、私はフランス語で「Bonne nuit」と答え、客室に戻った。

翌朝、この男性とはLinkedinで連絡先を交換し、別れを告げた。InstagramでもWhatsappでもFacebookでもなくLinkedinというところが紳士だと感じた(笑)

もう二度と会うことはないと思うが、この夜のことは一生忘れないだろう―――――。

 

それにしても、往路と復路、同じ夜行列車でここまで違うものかと驚愕した。
行きは地獄だと思っていた夜行列車が、帰りは天国のように思えた。

今でも、パリからニースに旅行に行くという人に、あえて夜行列車を勧めたいとは思わない。多少お金がかかっても飛行機の方が便利だし、日数に余裕があるなら鉄道でも日中の特急に乗った方が良いと思う。
私のように弾丸旅行で日数を節約したいなら夜行列車は役立つが、そもそもニースやコートダジュールのようなリゾート地は弾丸旅行で行く場所ではない。友人・恋人や家族などと一緒にゆっくりとした休日を楽しむべき場所なのだ。

だが、今回に限って言えば、私は夜行列車を選択したからこそ、こんな特殊で面白い経験ができたのである。

 

おかげさまで、Instagramでは先に挙げたマントンの写真が360以上のイイネ(Like)を頂くことができた。
その旅行のサイドストーリーであるこの記事も、同じくらい多くの読者の方に気に入っていただけたら大変ありがたい―――――そんなことを、ふと思ってしまった。

 

※【コロナ禍の欧州旅行】シリーズの記事一覧は以下のリンクよりご覧いただけます。

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【大学院留学】交渉したがる西洋人と、徹夜で乗り切る東洋人

2020年10月から2022年1月のフランス留学において、私は法科大学院ビジネススクールに通い、修了した。

法科大学院の方は中南米出身者がマジョリティだったのに対し、ビジネススクールは半数以上がフランス人と人員構成に差はあったが、そのどちらの同級生にも共通していたことがある。

そう、事あるごとに彼らは教授と交渉したがるのだ――――。

誤解しないでほしいが、私はそんな彼らを否定するつもりはなく、相手が目上の人間であっても臆せずキチンと話し合いをしようとする姿勢にはとても感心している。
一方で、極東アジア人の自分にはどうしても文化的に中々理解するのが難しい部分もあり、それは生きてきた環境や受けてきた教育が違うのだから当たり前である。
この記事で伝えたいのは、そんな文化の違いの面白さであり、決してどちらが良い・悪いということを言いたいわけではないので、予めご理解いただきたい。

 

私が通っていたロースクールは大学自体があまりオーガナイズされておらず、授業の日程が頻繁に変更となったり、急に試験の日程が決まったり、事前に教授が用意した資料を事務局が学生に配布するのを忘れたり、困ったことも多かった。

2つの試験の日程が同じ週に入ってしまった時は、真っ先に1人の欧米人が片方の延期を要請することを他の学生に提案してきた。
正直、私はさっさと2つとも試験を終わらせて早く勉強から解放されたかったので、延期にはそこまで乗り気ではなかったが、別に反対するほどのこだわりもなかったので、周りに合わせて "Yesss I'm in!!" と返答した。
同調圧力というのは、大人になろうが国が変わろうがいつでもどこでも付きまとうものだと改めて実感した。

確かに、元の試験日程に合わせて勉強するとなると、この先2週間は間違いなく毎日勉強に専念しなくてはならない状況にはなる。少なくとも、自国で弁護士資格を持っている他の学生と比べて法律知識が圧倒的に劣り、かつ英語での情報処理や議論に長けていない自分の場合、徹夜が続くことも覚悟していた。

とはいえ、未だ試験まで十分な期間があるのだから、計画的に勉強すれば間に合わないことはないし、徹夜すれば済むだけの話ならそうすれば良いだけだと思っていたので、試験日程の延期を交渉するという考えは私にはとても新鮮だった(というか、交渉している時間があったら勉強すれば良いだけではないだろうかと思った笑)。

 

昨今は日本でも働き方改革という言葉が浸透し、残業は悪だという考え方が社会に根付いてきたが、私が新入社員の頃は「月曜朝〆切の仕事が金曜17時までに終わらないなら22時までかけてやればいいし、22時に終わらないなら深夜1時までやればいい。それでもだめなら土日がある」と諸先輩から言われてきたし、それが当たり前だった。

勿論、残業や休日出勤は本来すべきではない。本当にその仕事は月曜朝までに完了させる必要があるのか、残業や休日出勤をしてまで終わらせなくてはならない案件なのかという視点を持つことは大切だし、場合によっては依頼人に事情を説明して〆切を延ばしてもらう必要はある。
私も残業自体は大嫌いで、可能な限り一刻も早く会社を出たいと思っているし、残業代目当てにダラダラ仕事をしている人間を見るとネコパンチしたくなるタイプだ。

しかしながら、計画を立てる前に最初から匙を投げて、やるべきことを何もやっていない人間が無責任に「〆切を延ばしてください」というのは、さすがに筋が違うと思う。
残業はすべきではないが、本当に今すぐ取り組まねばならない課題がある時は、帰りが何時になろうと最後までやり抜く。それが責任というものではなかろうか。

巷の議論では、日本人の労働時間が長い理由は日本人の働き方が非効率だからだと叫ばれているが、これは紙を印刷して偉い人のハンコを押す決裁手続きなどの業務システムが非効率なだけであり、決して日本人自体が非効率なわけではない。むしろ、日本人の事務処理能力は世界随一である。

そして、日本人の労働時間が長いもう1つの理由は、恐らく責任感が強すぎるメンタリティによるものではないかと、今回の試験延期騒動や留学生活全体を通じて実感した。

ビデオテープ録画機の規格戦争(VHS戦争)を描いた2002年公開の映画「陽はまた昇る」で、「11月1日以降は新しい規格のビデオは開発してはいけない。ソニーのベータマックスで規格統一」と言われた主人公・日本ビクタービデオ事業部長の加賀谷静男(西田敏行)が「10月31日までなら開発して良いということですね!」と答えて、実際にビクターは規格戦争に勝ち、1976年10月31日にVHSビデオデッキを発売している。
これも、日本人のメンタリティが絶体絶命の状況でも最後まで闘い抜こうとするゾンビのような生命力を発揮させた1つの例ではなかろうか。

 

話をロースクールに戻すと、結局この時は交渉に成功し、試験日程は延期された。
だが、彼女たちが教授と交渉に臨んだのはこれが最後ではなく、その後もあらゆる場面で少しでも腑に落ちないことがあれば交渉していた気がする。

試験の延期であれば未だ理解できるが、中には「試験を無くしてほしい」という要請をする時もあった。
彼女たちの理屈は「私たちは授業に積極的に取り組んでいるし、課題もしっかりと仕上げた。そのうえでさらに試験なんて、小学生じゃないんだから必要ない。授業への参加姿勢と課題の出来で評価してほしい」というもの。

これは個人的には先程の日程延期以上に困った話だったので、さすがに同意はせず、交渉に関するWhatsappのやり取りは静観してやり過ごした。

先程述べた通り、議論や交渉は苦手だが事務処理能力が高く責任感を持ってゾンビのように闘い抜けるのが日本人のDNAである。グループディスカッションの場ではあまり活躍できなくても、筆記試験であれば、きちんと勉強さえすればそこそこ高得点を取れてしまう。それゆえ、試験を無くされて授業中の発言等だけで成績を付けられるとなると、かなり厳しい(最も、私も日本語圏では特にそこまでインタラクティブな授業に脅えるようなタイプではなかったので、これに関しては英語力による部分が大きいと思う)。

結局、この時は教授からあっさりと却下され、彼女たちの交渉は失敗に終わっていた。教授曰く「試験は唯一全員を公平に評価できる方法だからなくすことは出来ない」とのこと。メルシーボクゥ。

 

交渉したがる西洋人と、徹夜で乗り切ろうとする東洋人、どちらにも長所・短所はあるが、違うDNAを持った人間が集まる多様性あふれる場所に来たおかげで、今まで日本では経験したことのない面白い場面に出会うことができた。
これはまた別の記事で書こうと思うが、ビジネススクールでもアジア人と西洋人で行動パターンが自然と分かれる場面が多く面白かった。

母国語で十分な高等教育が受けられる日本人が、いつでもオンラインで世界と繋がれる今の時代にわざわざ移住してまで海外の大学に行く価値と言うのは、こういった部分にあるのだと思う―――――。

【コロナ禍の欧州旅行】ハンガリー・ブダペスト編

2021年12月、ビジネススクールの授業と課題の合間を縫って、私はハンガリーブダペストに弾丸旅行をすることに決めた。

ブダペスト自体は小さな都市で、観光は丸1日あれば十分なのだが、私が1泊2日ではなく2泊3日の旅程を組んだのは、ブダペストに行く目的が夜景撮影であったからだ。

ブダペストの夜景は美しい。街全体というよりは、国会議事堂のライトアップがとにかく美しいのだ。

 
 
 
 
 
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はっきり言って、ブダペストは観光地としての見どころが少ないし、敗戦国にはありがちだが街並みも他の欧州都市と比べればイマイチである。
日本やドイツのいくつかの都市にも当てはまる話だが、敗戦国では歴史的な趣深い建物たちが焼け落とされ、戦後になって復興のために景観もへったくれもないuglyで中途半端な近代建築たちが矢継ぎ早建てられたというパターンが多いので、街を歩いていてもワクワク感がない。

それにもかかわらず、私がブダペストを心から楽しむことができたのは、上記のような欠点にも勝る国会議事堂の美しさのおかげである(付け加えるなら、食事も中々美味しかった)。

「この世で一番お気に入りの被写体は何か?」と問われれば、私は迷わずエッフェル塔と回答する。色々な角度や場所、季節や時間帯で違った顔を見ることができ、その全てが私を夢中にさせた。
だが、さすがにエッフェル塔には敵わないものの、ブダペストの国会議事堂も私にとっては非常に魅力的な被写体であった。私はInstagramブダペストの写真を9枚投稿しているが、そのうち4枚が国会議事堂の外観である。
違った角度・場所・時間帯に国会議事堂の写真を撮るためには、2泊3日は必要だった。

 

冒頭に掲載した写真は、1日目に現地に到着してすぐに撮りに行った写真である。冬の東欧は驚くほど日照時間が短く、この日の日没は15時台だったはずだ。同じヨーロッパでも、フランスは冬でも19時近くまで明るい(その代わり朝は9時頃まで暗い)わけだから、何とも差が激しい。
夜景は日没1時間後の空が最も映えるので、15時過ぎに空港に到着すると急いで市内に向かったが、夜景スポットに到着した頃には既に真っ暗だった。
それでも、オレンジ色の暖かい光に照らし出された国会議事堂の姿は、この世の物とは思えないくらい美しかった。
ホテルに荷物を置きに行く時間も惜しんで撮影に直行したため、肉体的にはそこそこ疲れていたが、そんなことはどうでも良いくらい写真を撮り続けることができた。

 

日が暮れるのが早いこともあり、飲食店が夜の営業を始める時間も西欧に比べると大分早い。パリでは大概レストランの営業開始は19時だったが、ブダペストでは17時台から営業開始しているお店も多かった。日本でも17時半位から営業する店が多いため、日本から直接ブダペストに旅行する場合は何とも思わないポイントかもしれないが、体内時計がパリでの生活に設定されて1年以上経過していた当時の自分にとっては驚きであった。

そして、ブダペストで食べた食事はどれも美味しかったし、価格もリーズナブルだった。とはいっても、これもパリ基準での評価なので、日本から直接ブダペストを旅行した人は違った感想を抱くかもしれない。
以前投稿したドゥブロブニクの記事でも述べた通り、東欧の料理は西欧の物と比べて日本人の口に合うものが多い。
パリで食べたら20€くらいかかりそうな豚レバーのグリルがブダペストでは6€で食べることができた。しかも味付けが日本人好みでメチャクチャおいしい。
一方、不思議だったのは、レストランで美味しいメインディッシュが6€にもかかわらず、クリスマスマーケットの屋台に売っているファストフード系の食事の方が10€くらいと高めであったことだ。一度、鮎のフライみたいなのを屋台で買ったところ、普通に美味しかったものの値段は西欧と変わらない10€だったので、この国ではレストランで食べた方が断然お得だと気付かされた。

日没が早いおかげで、夜20時には夜景撮影と夕食の両方が既に完了しており、ホテルに戻ってビジネススクールの課題のための同級生とのオンライン会議にも参加できた。
この時既に日没から5時間が経過していたため、夜更かしをしている気分だったが、未だ20時である。パリにいたら、夜が始まったばかりという時間なのだ。
それでも、オンライン会議が終わると私はすぐにシャワーを浴びて就寝した。移動で疲れていたのもあるが、外が暗くなって数時間経てば自然と眠くなるものであった。やはり人間は太陽と共に目を覚まし、眠りにつく生き物である。
更に言うと、この街には特別楽しみたいと思う夜の娯楽が無かったのと、高層ビルの殆ど無いヨーロッパの夜は東京と比べて格段に暗いのと、気温が低く寒かったことも、早く布団に入りたいと思った理由だった。

 

2日目の昼間は気になる観光スポットをいくつか廻った。
天気に恵まれ、写真も撮りやすかった。
やはり東欧の建造物というのは西欧とはまた違った趣があり、西欧の正統派のお城や教会に目が慣れてしまった自分にはブダペストの個性的な建物たちは真新しく新鮮だった。

 
 
 
 
 
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建築に関してどちらが好きかと聞かれれば、西欧の方が好きなのは否めない。基本的に、フランスやイタリアのロマンチックな宮殿や教会の方が好きだ。
だが、西欧は夏の間に散々旅行しつくしたこともあり、この冬はエキゾチックな東欧に興味が湧いていた。
物珍しいものに惹かれるのは、人間として自然な心理である。雑然とした無機質な高層建築物ばかりの東京はuglyだと私は思っていたが、おとぎ話に出てくるカワイイ建物だらけのヨーロッパで生まれ育った西洋人の友人に言わせれば「東京はSFの世界みたいでワクワクする」とのことだ。
「西洋人はこんなカワイイ街並みの中で暮らしてるってどういうことやねん!絵本の中の住人なのかコイツらは?」と思っていたが、彼らから言わせれば我々東京都民はSFの世界の住人だと考えれば、どっちもどっちなのかもしれない。

 
 
 
 
 
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見どころはそんなに多くないものの、日没が早いとなれば夕暮れから夜景迄の撮影ボーナスタイムもあっという間にやってくるため、そこまで時間的余裕はなかった。
昼食を済ませた後、数時間以内に日没が訪れるのだから、撮影スポットにも早めに移動する必要があるのだ。

特に、今回は世界一美しいドナウの夜景が見られるゲッレールトの丘からの撮影を目的としていたため、丘へ登るのにかかる時間も計算しておかなくてはならない。

詳細は私のInstagramストーリーアーカイブに載せているが、丘の頂上まで登り切ったものの展望台が工事で封鎖されていて中に入れなかったため、展望台が囲まれている柵の外のわずか数十センチほどの崖に立って写真を撮った(有名な観光スポットが工事中なのはコロナ禍あるあるである)。

苦労した甲斐があり、望み通りの写真を撮ることができた。

 
 
 
 
 
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日没1時間のマジックアワーが終わる頃には撮影を終え、足早に山を下った。
先程述べた通り、高層ビルの無いヨーロッパの夜はとにかく暗い。それが山の上となれば猶更である。時刻は未だ17時過ぎだったが、ゲッレールトの丘はとうに真っ暗だった。コロナ禍でなければ観光客がウジャウジャといて雰囲気が違うのかもしれないが、この時の丘で見かけたのはほんの数人だったし、皆目的が違ったのか離れた場所にいた。
治安の悪い場所ではないので怖さは感じなかったが、寒さも真実味を帯びてきたこともありサッと山を下りることにした。

 

翌日、最終日は国会議事堂見学ツアーに参加した。
以前パリの上院議会を見学したことがあり、ヨーロッパの議事堂は初めてではなかったこともあり、そこまで物珍しくは感じなかったものの、見ごたえがあり楽しいツアーだったので、ブダペストを訪れるのであれば是非このツアーは行程に組み入れることをオススメする。内部の見学写真はInstagramのストーリーに少し載せているので、興味があればご覧いただければと思う。

夜景の話ばかりしてきたが、国会議事堂は昼間の姿も美しい。離れても、近づいても、色んな写真が撮れる。

 
 
 
 
 
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先程、街並みはイマイチだと述べたが、漁夫の砦から国会議事堂を撮影した時に写る建物群は風情があって素敵である。

 
 
 
 
 
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尚、今回私は行かなかったが、ブダペストと言えば温泉も有名である。
温泉巡りも行程に入れたい場合は、もう少し余裕のある日数で旅行した方が良いかもしれない。

 

ブダペストは、初めてのヨーロッパ旅行で選ぶ街ではないだろう。また、行くとしても、日本からはるばる訪れるのであればチェコオーストリアなど他の都市とセットで周遊するケースが殆どだと思う。

したがって、「何が何でもブダペストに行くべきだ」と言うつもりはない。フランスやイタリアに行ったことがないなら、まずはそちらを優先した方が良いと思う。

それでも、自信を持って言えるのは、ブダペストの夜景と国会議事堂の外観は、私が数々のヨーロッパの観光スポットの中でも特に美しいと思える景色の1つであるということである。

少なくとも私と感性が近い人であれば、行って後悔することはないので、死ぬまでに一度は是非訪れてほしい ――――――。

 

 

※【コロナ禍の欧州旅行】シリーズの記事一覧は以下のリンクよりご覧いただけます。

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転勤族と駐在員、方言やあれこれ。

海外勤務経験者が「駐在員とローカルスタッフ(現地採用)は、本質的には永遠に分かり合えない」と言っているのをよく耳にするが、これは日本国内における「全国転勤有の総合職と地域限定職」の関係にも同じことが言える。

どちらが良い・悪いではないのだが、お互い立場が違い、全く異なる悩みを抱えているので、永遠に分かり合えないということだ。

海外勤務手当付の給与や住宅補助等の手厚い待遇を受けている駐在員は、会社からの命令で(時には本人の希望とは関係なく)知らない国へ派遣され、言葉の壁や文化の壁にアタフタしながら日本本社の期待を背負って新しい仕事に取り組む。

自らの意思でその国に住み、腰を据えて働いているローカルスタッフの多くは、その国の言葉や文化に精通しており、仕事そのものについても有能にこなしている場合が多いが、待遇面では駐在員よりも劣ってしまう。
そんなローカルスタッフからすれば、言葉も話せない・文化も知らない・場合によっては仕事も大してできない・どこの馬の骨かもわからない駐在員がひょこっと現れては日本に帰っていくわけだから、┐(´д`)┌ヤレヤレという気持ちになることも多いだろう。

一方の駐在員は駐在員でローカルスタッフの仕事ぶりに対して不満を持っていることも多く、お互い向いている方向が違うゆえに、その主張は平行線だったりする。

 

だが、冒頭に述べたように、これは何もグローバルな世の中となった最近の海外勤務における話に限らず、日本国内における全国転勤有の総合職と地域限定職にも同じことが言える。

聞いたこともない田舎の町への異動を命じられて東京からひょっこりやってくる全国転勤の社員は、その土地の方言も話せなければ現場の仕事のやり方も知らないうえに、数年経つとまた東京へ戻っていくわけだから、地域限定の社員からすれば┐(´д`)┌ヤレヤレとなってしまうが、一方の全国転勤社員も地域限定社員の仕事に不満があったりする。

彼らもまた、お互い向いている方向が違うゆえに、主張は平行線の一途である。

 

言うまでもなく、転勤族と駐在員という概念は排他ではなく、世界各地に転勤のあるタイプの社員であれば転勤族かつ駐在員ということになる。

いずれにしても、このように住居の移転を繰り返しながらキャリアアップしていくことが前提の会社員というのは、1つの土地に根付いて生きている人々と比べると、よく言えば柔軟性があり、悪く言えば根無し草のような性質である(勿論「人による」のだが、それを言うと身も蓋もないので、ここではステレオタイプについて語らせていただく)。

 

例えば、転勤族には地元愛がそこまで強くない人が多い。

誤解のないように補足すると、決して地元が嫌いなわけではなく、その他今まで住んだことのある地と自分の地元を公平な目で見て、それぞれの良いところと悪いところを心得ているから、自分の地元に妄信的になることがないのだ。

一般的に、横浜出身者には横浜が大好きな人が多い。横浜がこの世の至極だと信じてやまない人がとにかく多い。

私は、社会人となるまでは典型的な横浜人だったし、逆に社会人5年目くらいの頃はそんな典型的な横浜人を蔑視していた気がするが、今は横浜も川崎も千葉も埼玉も公平な目で見ることができていると思う。

たった5回の引っ越ししか経験したことのない私ですらそうなのだから、全国津々浦々&地球まるっと全世界での引っ越しを繰り返している人は本当にニュートラルなのだと思う。

さらに、これが転勤族の家に生まれた子どもの場合となると、子どもの頃からニュートラルなわけだから、適応力も柔軟性もずば抜けている一方で、地元という概念があまりないので、地元愛という概念すらなかったりするから面白い。

 

また、転勤族は、本人すらどこの方言かわからない言葉を話していることがある。
基本的に転勤族が転勤先の地で習得して見様見真似で話す方言は、地元の人から見れば不自然極まりないものだったりするが、そもそも彼らは引っ越すたびに新しい方言をランダムに覚えては使っているので、色んな土地の方言が混ざったオリジナル言語を話しているケースも多い。
海外駐在員の場合も同様に、色んな国のアクセントが混ざった英語を話しているケースが多い。仮にその国の言葉が殆ど話せなくても、地元民と話していればアクセントはうつるものだ。

広島に3年間住んでいた私自身も、マトモな広島弁は全く話せないが、広島から東京に引っ越した直後はコンビニの店員から「西側の出身ですか?」と聞かれたことがあった。また、最近は初対面の外国人(特にイギリス人)から「なんでお前の英語フランス語訛りやねん」とよく聞かれる。フランス語が殆ど話せないので複雑な気持ちだが、住んでいる土地の地元民が話している言葉のアクセントというのはうつるものだ。

 

在宅勤務やノマド型ワークスタイルの普及により、職場と住居の所在地が一致しない新しい生活様式も一般的となりつつある時代変化を踏まえると、いずれは転勤族や駐在員という言葉も死後と化す日が来るかもしれない。

近未来の人類は、全員がノマド化することで全員がかつての転勤族のようなメンタリティになるのだろうか。あるいは、ノマドたちがお気に入りの土地で定住を始めることで各地方に新たな文化や習慣をもたらすのだろうか。

先のことは誰にもわからないが、もしこのブログ読者の方々の中で、人生で一度も引っ越しをしたことのない方がいたら、是非一度は経験することをオススメする。

環境が変わっても人は変わらないとは言うけれど、本人の中では何かが変わるはずだから――――――。

 

※「色々考察」シリーズの記事一覧は以下のリンクよりご覧いただけます。

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【コロナ禍の欧州旅行】クロアチア・ドゥブロブニク編~素敵なホテル担当者に感謝~

日本帰国まで秒読みとなった2021年の冬、オミクロン株の流行により各国は再び規制強化の方向に動き始めていた。

キリスト教圏内の国々ではクリスマス前後は観光地も基本休業なので、平常運転しているイスラム圏のエジプトやモロッコへ旅行をしたいと考えていたが、先に述べた感染症の状況を踏まえると、大陸を越えると最悪の場合フランスへ戻れなくなるリスクも無きにしも非ずだったため断念し、欧州圏内で目的地を探すことにした。

その後、12月全体の計画を色々考えた結果、クリスマスと年末年始はパリで過ごす予定を入れたため、旅行できるのは12/26~12/28の2泊3日となり、この3日間に観光地が休業しておらず、かつ天候が良い都市を選ぶ必要があった。
特に12/26は休業している観光地やレストランが多く、仮にネット上の情報で営業していると書かれていても、それはコロナ前にアジアからの観光客需要があった時代の話で、欧州圏内の旅行者しか見受けられない今年は休業しているという可能性もあり、油断できない。
また、冬の欧州はとにかく天候が期待できず、どこの都市も荒れ模様の予報が目立った。

そんな中、2泊3日でも楽しめそうで天候も良さそうなのがクロアチアのドゥブロブニクだった。
アドリア海に面する南クロアチアの都市、魔女の宅急便の舞台になったと言われている町である。

 
 
 
 
 
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一般的には夏に訪れる観光地なので、閑散期の12月はホテルの値段も安かった。元々物価が安いのもあるが、条件次第ではパリの3つ星ホテルよりも安い値段で5つ星ホテルも予約可能だった。

一番の問題はクリスマスシーズンの観光地・飲食店の休業情報だったが、5つ星や4つ星ホテルの担当者であれば、予約前でも質問すれば答えてくれるのではないかと考え、実際に泊まりたいと思った5つ星と4つ星の2つのホテル担当者にBooking.comを通じて連絡を取り質問することにした。

驚いたことに、どちらも返信が早い上に非常に丁寧だった。この事務処理能力の高さ・ホスピタリティは欧州では他に経験したことがない。
未だ予約していないのにもかかわらず、「営業している飲食店と観光地を調べて、明日までにリストにして送るわね!」と前向きな返信をくれたうえに、その日の夜にはリストを送信してくれた。楽しみにしていた城壁巡りとロープウェイは営業していること、数は多くないが飲食店も営業していることがわかり、ドゥブロブニクに行くことを決めた。
ちなみに、結局5つ星ホテルはBooking.comの価格変動システムの関係で値上がりしてしまい、私が考えていた予算を超えたので、4つ星ホテルの方を予約することにしたが、結果としてこのホテル「Bota Palace」の担当者がとにかく素晴らしい人間だった。

 

ドゥブロブニクに行く場合、夏季であればプリトヴィッツェ湖群国立公園にも立ち寄るのが定番コースだが、この公園は冬に行くような場所ではなかったため、今回はドゥブロブニクのみで2泊3日で丁度良かった。

ただ、2泊3日と言っても、冬場は飛行機の本数が極端に少ない上に乗り継ぎがかなり悪かったため、実質マトモに観光できるのは真ん中の1日だけであった。裏を返せば、ドゥブロブニクだけであれば丸1日あれば十分なのである。

パリから行く場合、一度ザグレブクロアチアの首都)まで国際線で渡航し、そこから国内線に乗り換えてドゥブロブニクに行くのだが、初日は日没後に到着し、最終日は日が昇る前にはホテルをチェックアウトする必要があった。
往路は国際線が遅延し、ターミナルに降り立つ頃には国内線の出発時間が過ぎていたので一瞬頭が真っ白になったが、そもそも次の国内線を利用する乗客の大多数を我々パリ組が占めていたようで、国内線は我々が到着するまで待ってくれていた。

空港からドゥブロブニク市街地も少し離れており、移動手段は市営バスかホテル送迎の2択となる。所要時間も利便性も差がないのに、価格は雲泥の差だったので、市営バスを使いたいと思っていたが、バス会社の公式ホームページや時刻表が色々適当でイマイチ信用できず、本当にバスは運行しているのか不安だった。
そんな思いを抱きながら旅行準備を進めていると、ホテルの担当者から連絡があり送迎要否を尋ねられたため「私はお金持ちではないので市営バスで行こうと思っているが、本当にバスが運行しているか不安。時刻表には○○と書かれているが12/26もこの通り運行しているか?」と話してみたところ、「あなたの言う通り、市営バスの方が良い選択だと思う!バスの時刻表は私が調べるから、少し待っててね」と言って、バスの運行情報を確認してくれた。コロナ禍の旅行情報は、現地語ができないと正確な情報を得ることが難しいので、本当に助かった。
結果、バスは利用可能であったため、送迎を頼むと数千円かかるところを数百円の出費に抑えることができた。
ちなみに、バスと言っても実際に来たのは6人乗りのバンのような車で乗客も他に1組いる程度だったので、殆どプライベート送迎と変わらない気がした。

東欧の日没は西欧より早いこともあり、市街地に到着した頃には既に真っ暗だったが、メインの大通りに並ぶクリスマスマーケットの出店のおかげで少し華やかだった。とはいえ、大きなものではなく、東京でいうと小さな下町の神社で行われるお祭りに並ぶテキ屋くらいの規模の小さなマーケットである(滞在期間が短いため、全てクレジットカードでやり過ごす予定で現地通貨を用意していなかったところ、このクリスマーケットは現金支払いのみ可だったので、一度も利用はしなかった)。

例のホテル担当女性からは「あなたが到着する時間には現地にいるようにするから、時間がわかったらWhatsAppで連絡してね」と言われていた。3つ星以下のホテルでは他国でも経験済みのパターンだが、4つ星ホテルでフロントが常駐でないのは珍しい。
とはいえ、ドゥブロブニクのような小さな町で、かつ閑散期なのだから従業員を常駐させる余裕がないのは容易に理解でき、全く不快には思わなかった。むしろ、先程から述べている通り、この担当女性は本当に親切で事務処理能力も高い人だったので、WhatsAppで適宜やりとりができて大変助かった。

無事ホテルに到着すると、彼女は明るく私も出迎えてくれた。チェックインを済ませ、部屋を案内してもらう―――――利便性、外観、内観の全てが気に入った。
とりあえず空腹だったので、彼女が教えてくれた飲食店「Taj Mahal Old Town」を訪れ、彼女のオススメのスープと肉料理を注文した。美味しい。観光地にしては良心的なお値段だし、とても満足した。彼女からWhatsAppで感想を聞かれたので、写真を添えてとても美味しかった旨返信した。
尚、私は翌日も彼女のオススメのレストランを廻ったが、毎回彼女に食べたモノの写真を送り感想を伝えた。どのレストランも本当に美味しかった。

翌朝、ホテルで出された朝食も飛び上がりたくなるくらい美味しかった。3種類の選択肢の中からオムレツを選んだのだが、大当たりだった。ワンプレートにオムレツとマッシュルームとサラダが載っていて、栄養バランスも良好。基本的に東欧の方が西欧より日本人の食生活に近いため、当たりの食事が多かった気がする。

朝食を済ませ、少し市街地を散歩した後、城壁巡りの入り口に向かった。天気予報が変わり、時間帯によっては大雨と雷のマークが出ていたため、天気が崩れる前に主要スポットを廻りたかった。
営業時間より少し早めに到着したところ、既にスタッフはいたものの「あと4分だから、もう少し待ってね」と言われた。
このスタッフといえ、ホテル担当者といえ、私が出会ったクロアチア人は皆フランス人並みにフレンドリーなのに日本人並みに事務処理能力が高く時間に正確である。

不思議なことに、私が城壁を歩き始めると、朝の時点では曇っていた空から次第に雲が消えてゆき、良い写真が沢山撮れた。

 
 
 
 
 
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午後はロープウェイで山頂に登り、展望台よりもさらに景色の良い場所を探して舗装されていない崖のような場所にも足を踏み入れながら撮影スポットを射止めた。
その時に撮影した写真が、このブログの冒頭で掲載した写真だが、御覧の通り、幸運にも午後まで空は晴れ続けてくれていた。

雷が轟き、大雨が降ってきたのは、私が早めの夕飯を済ませてホテルに戻った後だった。翌朝のフライトが朝6時台で、朝5時にはホテルをチェックアウトしないといけなかったので、早めに寝るために早めにホテルに戻ったのが理由で、天候は本当に偶然である。この時は本当にビックリするくらい運が良かった。

さらに嬉しいことに、ホテル担当者の女性から「あなたは明日朝早くてホテルで朝食をとれないから、代わりに私が弁当を作るわ」というメッセージが届いた。どこまで親切な人なのだろう。勿論、弁当といっても日本人が想像するような弁当ではなく、パンと果物とヨーグルトとスナックの詰め合わせのような簡易的なものなのはわかっていたが、それだけでも本当に本当にありがたかった。

滞在期間が短かったうえに、そもそもドゥブロブニク自体がとても小さな町でフォトスポットも限られるので、Instagramに投稿したのは2回×2枚=計4枚の写真だけだが、その裏には語り尽くせないほどのおもてなしが存在した(ちなみに、同じInstagramでもストーリーズアーカイブの方には食事の写真等も色々上げているので、ご興味があればご覧いただきたい)。
ジェラート屋さんやお土産屋さんなど、夏の繁忙期であれば賑わっているであろう店もその殆どが休業していたが、そんなことはどうでもいいくらい、幸せな気持ちになれる旅行だった。

在仏生活の最後の旅行に、この場所を選んで本当に良かったと思っている。

 

※【コロナ禍の欧州旅行】シリーズの記事一覧は以下のリンクよりご覧いただけます。

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【フランス生活】不便が前提だから助け合えるパリ、便利が前提だから他人に無関心な東京

パリの地下鉄の駅にはエレベーターやエスカレーターが無いケースが多い。その他、居住用・商業用の建物内であっても階段しかないことも少なくない。エレベーターはあったとしても非常に狭く、スーツケース2つ乗せるのがギリギリみたいなサイズが多い。エスカレーターがあるのは大型の駅やデパートなど、要は横幅が十分に確保できるくらい広々とした場所だけである。

ゆえに、基本的にパリでメトロに乗る時は、スーツケースや大きな荷物を持っていても階段を上り下りしなくてはいならない。

 
 
 
 
 
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手が2つしかないので、3つ以上荷物を持ち運ぶ必要がある時はさすがにタクシーやウーバーを使ったが、荷物2つなら公共交通機関だけで移動することもあった。階段の上に1つ荷物を残したまま、もう1つの荷物を持って駆け下り、その後もう1つの荷物をそこまで下ろすこともあったが、不用心なのでなるべく気合で2つ同時に持って下りるようにした。

だが、そんな時は十中八九、誰かが声をかけてきた―――――。

「大丈夫?手伝いますよ?」

最初は警戒心から断ることもあったが、本当に親切心で声をかけてきてくれていることが徐々にわかってきた。

仮に断ったとしても、「いや、あなたにこの荷物を1人で運ぶのは無理!私が手伝うから。一緒に運びましょう。わかった?」と言って結局手伝ってくれることが多い。

私のスーツケースなんぞはどうでもいいとしても、ベビーカーや車椅子の人だっているわけで、階段以外の選択肢が無い以上、誰かが手伝わないとその人たちは下りることができないのだから、助け合いは当たり前なのだと理解した。

そして私も可能な限り困っている人がいた時は助けようとした。大概、私より頼りになりそうな人が先に手を差し伸べるので、誰かの役に立てることは殆ど無かったが、少なくともそれが当たり前の考え方なのだとは心得ていた。

 
 
 
 
 
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そして、助けが必要な人は自分から頼んでくることも多く、とてもわかりやすい。電車の中では、よく高齢者や妊娠中の人等から「私座りたいから、席譲ってくれる?」と声をかけられた。日本では優先席やカバンにつける妊娠中のタグなどがあり、便利で良いものではある一方で、コミュニケーションを取らずに物事を解決できるゆえに他者に無関心になありがちである。

その他にも、折り畳み式の座席に座っていると「電車が混んできたから立ってくれる?」と言われることがあった。日本人の感覚だと全然混んでいるとは思えない程度の混み具合だったので座り続けていたが、この街の基準では既に椅子を折りたたむ必要がある混み具合だったらしい。とにかく彼らは人と会話をする。日本、特に東京では一言も発さずに済むような場面でも会話が起こる。

 
 
 
 
 
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東京・首都圏で駅改札口を通り抜ける際、SuicaPasmo等の交通系ICカードの残額が足りずに引っかかってしまうと、後続の乗客たちにも迷惑をかけてしまうこととなり、中には思い切り舌打ちされる場合もある。皆が忙しいのに、自分の間抜けな不注意のせいで流れを止めてしまうわけだから、もちろん自分が悪いわけだが、一方で都民は予定調和を当たり前と考えすぎている部分はあると思う。

パリの地下鉄は全区間統一料金のため、改札にICカードをタッチするのは乗車駅だけで、降車駅の改札のゲートは手で押して開ける手動タイプとなっている。通勤ラッシュなどで混んでいる時間帯は、次の人のために扉を押さえてあげるのが通例で、後続の人は必ずお礼を言う。扉を押さえている人は、後続者がモタモタしていても気にせず待ってくれる(フランスでは、エレベーターに「開」ボタンはあっても「閉」ボタンはないので、フランス人は待つことに慣れているのかもしれない)。

お礼というのは、言うのも言われるのも気持ちが良いものだ。フランスに住んでいた頃は、1日に5回以上は他人にお礼を言う場面があったせいか、どんなに電車が遅れたり途中で止まったりしても、不思議とそんなにイライラすることはなかった。

日本では「ありがとう」の代わりに「スミマセン」を言うことが多いが、「スミマセン」を言うと自分が悪いことをしているみたいで気分が沈む。「こんにちは」の代わりに「お疲れ様です」を使うことも多いと思うが、これも何だか疲労感が増す気がする。フランスに長く住んでいる日本人から届くビジネスメールは「お世話になっております」ではなく「こんにちは」で始まる。日本に住む日本人ももっと「こんにちは」と「ありがとう」を使えばいいのに、と思ってしまう。

 
 
 
 
 
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帰国して数ヶ月が経ったある日、在宅勤務の昼休みに仕出し弁当を買いに近所の小料理屋を訪れた。コロナ以降急激に増えた、居酒屋や料亭が昼間店外に弁当を並べて持ち帰り用の弁当を売るパターンの営業形態である。

私が弁当を注文し支払いを済ませ提供を待っている間、車椅子に乗った高齢の女性と介護士が店の前に現れた。

「中で食べることもできるの?」

介護士が弁当販売をする店員に尋ねた。

「はい、できますよ。2階でお召し上がりになれます」

店員が回答する。

「エレベーターはある?」

再び介護士が尋ねると、店員は残念そうな表情で、

「すみません、無いんですよ・・・・」

と答えた。

 

この時、私は「手伝いますよ」と言いかけて、声を飲み込んだ。2階まで車椅子を運ぶことさえできれば良いのだから、誰かが手伝えばいいだけの話だと思った。だが、店の人が弱腰なところを見ると、恐らく店内も忙しく彼女たちのために時間を割ける人員もおらず、さらには仮に何か事故があっては大問題なので、面倒には関わりたくないのだろうと察した。勿論、もっともである。反論するつもりはない。また、私自身も彼女たちが食べ終わるまで待って帰りも手伝うことができるかというと、仕事があるので難しい。中途半端に手を出して迷惑をかけるつもりもなかったので、何もできずにただその情景を眺めていた。

 

「そうですか」

介護士はそう言って、車椅子を押しながらその場を立ち去って行った。
その後、私も弁当を受け取り、小料理屋を去った。

 

何が正しくて何が間違っているという話ではない。ただ、エレベーターがあるのが当たり前だから、そうでない場合は諦めるしかないというのも何となく悲しいと感じた。

便利なのが当たり前になると、そうでない場合のアクションが鈍くなる。人間同士が助け合えば簡単に解決するような場合も、コミュニケーションの面倒さからつい逃げ出してしまいがちになる。これは私自身に大いに当てはまることである。

「日本は便利だけど、日本では暮らせない」という在仏日本人の言葉の意味が、少し理解できた気がした。

 

※【フランス生活】シリーズの記事一覧は以下のリンクからご覧いただけます。

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【コロナ禍の欧州旅行】イギリス・ロンドン編

コロナ禍に旅行した12ヶ国のうち、最も入国ルールが厳格だったのがイギリスであった。EU・シェンゲン圏内の往来が自由になってからしばらく経っても、英国だけは中々その国境封鎖を解いてくれなかった。

そんなイギリスへ、漸く自由に旅行できるようになったのは2021年秋のことだった。
だが、依然としてルールはEU圏内の国に比べて厳しめで、渡航前・到着後2日目に抗原検査が必要で、かつ入国前に記入提出するオンラインフォームも他の国のそれよりも細かい内容であった気がする。

渡航前に到着後2日目の抗原検査を予約し、その予約番号をオンラインフォームに入力しないといけない。手間だし面倒だが、良く出来たシステムだとは思った。

コロナ禍に散々旅行したこともあり、入国規制等を確認するために様々な国の政府機関ホームページを見てきたが、イギリスはかなりユーザーフレンドリーでわかりやすいホームページを提供していた。ルールは厳しかったが、必要な情報が1ヶ所にまとめて書かれていたので、以前の日本の厚生労働省のホームページのように複数ページを確認しないと結論がわからないみたいなことはなかった。

 
 
 
 
 
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冬の欧州はとにかく天候の優れない日が多いのだが、この時のロンドンも曇りと雨のオンパレードだったので、写真を撮るのには相当苦労した。
まあ、ロンドン自体がそこそこ近代的な街並み(東京より田舎だが、パリよりは都会)なので、そこまでキャーキャー騒いで写真を撮る必要もなく、友人と食事や買い物、美術館鑑賞をゆっくり楽しめたので、十分満足している。

恐らく、一番ロンドンらしい写真が撮れたのは、以下の公衆電話ボックス。
ロンドンと言えば「赤」というイメージがあったが、茶色と白を基調とした建物たちの中にひょこっと現れる赤い電話ボックスとバスは予想通り可愛くて、もし私がこの町に住んでいたらメインの被写体として撮りまくっていたと思う(ポルトガルリスボンで言うと、路面電車のような立ち位置である)。

 
 
 
 
 
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どこの都市でも撮りたくなる「通りからひょっこりモニュメントが見える写真」は、ロンドンだと以下のような感じ。セントポール大聖堂へ続く道にロンドンバスが走っている。後方に見えるuglyな近代建築も歴史的な街並みに溶け込んでいると感じるのは、やはりロンドン自体がパリよりも近代的な都市で、近代建築も街並みの一部として既に馴染んでしまっているからだろうか。

 
 
 
 
 
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とにかく物価は高かったが、各国料理のレストランが充実していて、食事に困ることはない。定番のフィッシュアンドチップスも1度食べたが、あとは友人の従兄弟(イギリス在住)オススメのタイ料理や中華などを楽しんだ。

一部の美術館・博物館が無料で入れる一方で、有料の観光施設はとことんチケットが高い。1つの施設が結構広々としていて、真剣に見て歩くと時間が足りないので、無理に全てのスポットを廻ろうとせずに、興味のある場所に絞って訪れた方が楽しめると思う。

 
 
 
 
 
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正直、ロンドンについては観光そのものよりも、街歩き等を通じて感じたちょっとしたことの方が思い出に残っている。

まず、街中や電車の中で人々が話している言葉が(全部ではないが)理解できてしまうという状況が久しぶりすぎて新鮮だった。

フランス語がマトモに話せない人間がパリの街を歩いていると、街の人の会話はBGMのように聞こえている。たまに知っている単語が出てくるが、基本的に音楽を聴いているような感覚である。スペインやポルトガルを旅行した時も、フランス語以上に何もわからないので、会話は全てBGMだった。知らない外国語の会話がBGMが耳に入ってくるのも、異国情緒を感じられて好きだった。

これがロンドンとなると、皆が英語を話しているので訳が違う。
BGMではなく、家族の話やテレビの話や食事の話をしているのが耳に入ってくる。目からも耳からも入ってくる情報量が多すぎて、何だか気疲れしてしまいそうだった。
例えるならば、普段裸眼でお風呂に入っている視力0.01の人が昼間にメガネをかけて浴槽を覗いたら予想以上に汚れていたという時の衝撃に近い。イギリスでさえこれなのだから、日本語圏に戻ったら顕微鏡で微生物を見ているレベルで情報が入ってきて疲れ果ててしまうのではないかと危惧したが、後から述べる理由でそうはならなかった。

今回一緒に旅行したのは、同じくフランス語が殆ど話せないアメリカ人の同級生だったが、彼女は「パリは大好きだけど、やはり町の人たちと会話ができないのは寂しいから、やはり住むなら英語圏が良い。ロンドンに来て、久々に店員などと会話ができて楽しかった。何だかアメリカが恋しくなった」と言っていた(誤解のないように補足しておくと、彼女はアメリカ国籍で長年アメリカに住んでいるが、元々はマレーシア出身で英語は第2言語である)。

「ロンドンでは町の人と会話ができて楽しい」というのは私も同意見である。パリのデパートやレストラン等でも店員と会話をしていて十分楽しかったが、やはり自分がフランス語が話せないせいで会話は限定的だったのだと気付かされた。

一方で、「町の人と会話ができるという点で日本が恋しいのか?」と自分の問いかけた時、私は首を傾げた。
そもそも日本(少なくとも東京)では、町の人とフレンドリーに会話する習慣がない。他人とは必要最低限の会話しかしないので、日本語レベルがA2だろうがC2だろうが、会話の内容に差は出ない。

実際、私が東京で店員と交わす会話は、パリで店員と交わす会話と大差ない。いや、むしろパリにいる方が店員とフレンドリーに色々話せて楽しいと感じていた。
同じ文化の西洋圏で比べれば、言葉の通じるロンドンの方が通じないパリよりもよりフレンドリーに会話できて楽しいのかもしれないが、そもそも他人と会話する文化の無い東京から来た人間としては、パリでも十分楽しいのだ。言葉以上に文化の違いというのは大きいと、つくづく実感した。

 
 
 
 
 
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ロンドンとパリは近くて遠い。陸路で国境を超えることは、シェンゲン圏内であれば何度も経験していたので、圏外のイギリスとはいえパスポートとカバンを見せればすぐに電車に乗車できるのだろうと高を括っていたが、大間違いだった。

駅の片隅に大げさなゲートが設置されており、今までの人生で経験したどの空港のコントロールよりも厳しかった気がする。渡英の目的や、フランスで何をしているのか、ビザの有効期限に関することまで、細かく質問を受けた。同じシェンゲン圏外の旅行でも、トルコを訪れた際には空港でも殆ど何もチェックされなかったので、当たり前だが国による差が大きい。

 
 
 
 
 
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www.instagram.com完全に主観だが、ロンドンはパリと東京を足して2で割ったような街だと感じた。
パリよりは便利で暮らしやすいのかもしれないが、どうせヨーロッパに住むなら私はまたパリに住みたいと思う。勿論、ヨーロッパ諸国を旅行するうえでEU加盟国かつ地理的に利便性が高いフランス・パリが有利というのもあるが、単純に都市同士を比べても、私はパリの方が好きである。

とはいえ、ロンドンに住んだことはないので、もし機会があれば住んでみたいし、そのうえでキチンと比較してみたい。

きっと、何か新しい発見が、あるはずだ―――――――。

 

※【コロナ禍の欧州旅行】シリーズの記事一覧は以下リンクよりご覧いただけます。

monamilyinparis.hatenablog.jp

ディズニープリンセスは女性の社会進出の歴史

「女性の歴史を知るには、ディズニープリンセスを観るのが手っ取り早い」って言うくらい、ディズニープリンセスシリーズの映画を観ると、各映画が公開された各時代における女性の生き方がわかります。

厳密に言うと、アメリカの女性の歴史なのかもしれないけど、日本含め多くの国が同じ時代を歩んでいるんじゃないかな。

ちょうど先日、アナと雪の女王劇団四季版を観てきました。
9年前にこの映画を映画館で観た時、「ついにディズニーもここまで来たか。これを観たキッズたちが大人になる頃には、益々少子化が進みそう」と感じたことを思い出しました。

ディズニープリンセスって、登場人物の性格や物語の教訓が、原作の童話とは完全に置き換えられていたりするから興味深いんですよね。

1937年・・・お姫様は静かに眠り、いつか王子様が来てくれるのを待ち侘びていれば良かった「白雪姫」の時代。
1950年・・・第二次世界大戦直後、多くの男性が戦死したことで、女性はとにかく必死に積極的に結婚相手を探す必要があった「シンデレラ」の時代。
ちなみに、原作・グリム童話のシンデレラは、こんなに積極的な性格ではありません。
1991年・・・フェミニズムの台頭と封建主義の崩壊が、ちょっと極端な形で描かれた「美女と野獣」の時代。
女性の社会進出が進んだことで、新しい時代の女性を描きたかったのだろうけど、色々と中途半端で無理があるのが特徴(笑)
まあ、日本だと、男女雇用機会均等法と共同参画社会基本法の狭間の時代ですから、この中途半端感がしっくりきます。
1997年(※再公開年)・・・生まれ育った地域の伝統や家系に縛られず、一目惚れした男性と駆け落ちして都会に移住することにステータスがあった「リトルマーメイド」の時代。
日本だと、渋谷のような街に求心力があった時代で、成功を夢見て地方から上京する若者が多かったり、出来ちゃった婚がブームになったりした時代。
現在のようにインターネットが普及すると、地方格差が無くなり、このような考え方も衰退しますよね。

私は特にディズニーに詳しいわけではないし、映画も全て観ているわけではないのですが、(ついでに言うと、フェミニストでもないw)、観る機会を得られた際には、毎回そういった部分に注目して観てしまいます。

・・・で、本題の2013年。
アナと雪の女王がすごいと思ったのは、アナがハンスと結婚すると言った時、姉エルサが「出逢ったばかりの人と結婚なんて絶対に認めない」趣旨のセリフを言い放ったこと。
歴代のプリンセスがほとんど一目惚れで結婚してるゆえ、このセリフはとても印象的でしたね。極めて現代的。
DVや結婚詐欺など、様々な危険がはびこる現代社会において、エルサはとても大事なことをキッズたちに教えてくれていますね。
アナは最終的に、白馬に乗った完璧な王子様ではなく、人間味のあるクリストフという男と結ばれるわけですが、この恋愛の過程も極めて現代的。
2人は協力して様々な困難を乗り越えていく中で、いつしか恋仲になるわけですから。
我々の現実世界でも、部活とか学園祭の準備とか、力を合わせて何かを頑張っていく中で、自然とお互いに惹かれ合って、相手のダメな部分も含め認め合い、恋に落ちるというのが現代人の典型的な恋愛。
ディズニープリンセス映画がそれを体現しているのは、とても新鮮でした。
そして、エルサの方に至っては、なんと恋人がいない設定。これも斬新でしたね。
歴代プリンセス13人の中で一番年上にもかかわらず、唯一恋人がいない設定なのが彼女です。

劇団四季版には出てこなかったけど、社会現象となった劇中歌のうちの1つ「生まれて初めて(リプライズ)」のシーン、これもすごい印象的でした。
何よりも、現代における女性(というより人間)の意志の強さとか、誰かを守ろうとする気持ちとか、そういった類のものを的確に表しているように思えます。
「山を下りて一緒に帰ろう。子どもの頃のような関係に戻ろう」というアナに対して、エルサは「自身の脅威からアナを守りたい」という気持ちから「できない」と言います。
それに対して、アナは「守ってもらわなくて構わない。私は恐れていない。だから戻ってきて」と言うんですよね。
いやあ、強い。この種のカッコよさをディズニープリンセスの主人公に感じたのは初めてです。
さらに、歌い終わった後、クリストフが「アナ、行こう」と言いますが、「行かない。エルサ、あなたを置いては行かない」と強く答えるアナ。
それでも「行きなさい」と言って、(アナのことを思って)強制的に帰そうとするエルサ。

兄弟姉妹のいない私が言うのは恐れ多いけど、「姉妹の関係性」という側面でシンデレラと対比すると感慨深いです。
シンデレラにおける姉妹は、結婚相手を取り合うライバル同士という関係性。自分が幸せになるためなら、他の犠牲は厭わないのが彼女たち。
一方、アナ雪における姉妹は、真逆ですよね。まず、妹の危ない結婚を姉が止める。そして、2人とも、自分を犠牲にしてでも相手を守ろうとしています。
自分の幸せよりも先に相手の幸せを考えられるようになったのは、60年以上の年月を重ねて変化した経済的な豊かさなども関係するんでしょうけど、中々考えさせられます。

アナと雪の女王は、何かと社会現象になりましたけど、個人的に一番感銘を受けたのは以上のようなところですね。
(「英語版も良いけど日本語吹替版の歌詞もかなりスゴイんだぜ」とか「劇団四季の新日本語版が印象的だった」みたいな全然違った視点のことも色々語りたくなりますが、まあこの辺りは他の方も色々考察されていると思うので、今回は割愛します)

あと、アナ雪の次に公開された「モアナと伝説の海」についても語りたいことが沢山あるのですが、これはまた別の機会に。
一番好きなセリフに関する考察は以前書いた下記の記事で既に語っていますが、社会背景との考察も別途やりたいなと思っています。

monamilyinparis.hatenablog.jp

・・・ということで、今までディズニーに興味のなかった方も、ぜひ観てみて下さい。
(私も子どもの頃はジブリ派で、大人になってからディズニー好きになった類の人間です)
世の中の変化がわかって面白いですよ!

 

※雑多な考察系の記事一覧については、以下のリンクよりご覧いただけます。

monamilyinparis.hatenablog.jp