Monamily in Paris (...in London/in Tokyo/in New York/etc...)

派遣留学でパリの街に恋し、東京でアメリカ軍人の夫と結婚し、日系企業の駐在員としてロンドンで単身赴任中の私の純ジャパ奮闘記

【大学院留学】交渉したがる西洋人と、徹夜で乗り切る東洋人

2020年10月から2022年1月のフランス留学において、私は法科大学院ビジネススクールに通い、修了した。

法科大学院の方は中南米出身者がマジョリティだったのに対し、ビジネススクールは半数以上がフランス人と人員構成に差はあったが、そのどちらの同級生にも共通していたことがある。

そう、事あるごとに彼らは教授と交渉したがるのだ――――。

誤解しないでほしいが、私はそんな彼らを否定するつもりはなく、相手が目上の人間であっても臆せずキチンと話し合いをしようとする姿勢にはとても感心している。
一方で、極東アジア人の自分にはどうしても文化的に中々理解するのが難しい部分もあり、それは生きてきた環境や受けてきた教育が違うのだから当たり前である。
この記事で伝えたいのは、そんな文化の違いの面白さであり、決してどちらが良い・悪いということを言いたいわけではないので、予めご理解いただきたい。

 

私が通っていたロースクールは大学自体があまりオーガナイズされておらず、授業の日程が頻繁に変更となったり、急に試験の日程が決まったり、事前に教授が用意した資料を事務局が学生に配布するのを忘れたり、困ったことも多かった。

2つの試験の日程が同じ週に入ってしまった時は、真っ先に1人の欧米人が片方の延期を要請することを他の学生に提案してきた。
正直、私はさっさと2つとも試験を終わらせて早く勉強から解放されたかったので、延期にはそこまで乗り気ではなかったが、別に反対するほどのこだわりもなかったので、周りに合わせて "Yesss I'm in!!" と返答した。
同調圧力というのは、大人になろうが国が変わろうがいつでもどこでも付きまとうものだと改めて実感した。

確かに、元の試験日程に合わせて勉強するとなると、この先2週間は間違いなく毎日勉強に専念しなくてはならない状況にはなる。少なくとも、自国で弁護士資格を持っている他の学生と比べて法律知識が圧倒的に劣り、かつ英語での情報処理や議論に長けていない自分の場合、徹夜が続くことも覚悟していた。

とはいえ、未だ試験まで十分な期間があるのだから、計画的に勉強すれば間に合わないことはないし、徹夜すれば済むだけの話ならそうすれば良いだけだと思っていたので、試験日程の延期を交渉するという考えは私にはとても新鮮だった(というか、交渉している時間があったら勉強すれば良いだけではないだろうかと思った笑)。

 

昨今は日本でも働き方改革という言葉が浸透し、残業は悪だという考え方が社会に根付いてきたが、私が新入社員の頃は「月曜朝〆切の仕事が金曜17時までに終わらないなら22時までかけてやればいいし、22時に終わらないなら深夜1時までやればいい。それでもだめなら土日がある」と諸先輩から言われてきたし、それが当たり前だった。

勿論、残業や休日出勤は本来すべきではない。本当にその仕事は月曜朝までに完了させる必要があるのか、残業や休日出勤をしてまで終わらせなくてはならない案件なのかという視点を持つことは大切だし、場合によっては依頼人に事情を説明して〆切を延ばしてもらう必要はある。
私も残業自体は大嫌いで、可能な限り一刻も早く会社を出たいと思っているし、残業代目当てにダラダラ仕事をしている人間を見るとネコパンチしたくなるタイプだ。

しかしながら、計画を立てる前に最初から匙を投げて、やるべきことを何もやっていない人間が無責任に「〆切を延ばしてください」というのは、さすがに筋が違うと思う。
残業はすべきではないが、本当に今すぐ取り組まねばならない課題がある時は、帰りが何時になろうと最後までやり抜く。それが責任というものではなかろうか。

巷の議論では、日本人の労働時間が長い理由は日本人の働き方が非効率だからだと叫ばれているが、これは紙を印刷して偉い人のハンコを押す決裁手続きなどの業務システムが非効率なだけであり、決して日本人自体が非効率なわけではない。むしろ、日本人の事務処理能力は世界随一である。

そして、日本人の労働時間が長いもう1つの理由は、恐らく責任感が強すぎるメンタリティによるものではないかと、今回の試験延期騒動や留学生活全体を通じて実感した。

ビデオテープ録画機の規格戦争(VHS戦争)を描いた2002年公開の映画「陽はまた昇る」で、「11月1日以降は新しい規格のビデオは開発してはいけない。ソニーのベータマックスで規格統一」と言われた主人公・日本ビクタービデオ事業部長の加賀谷静男(西田敏行)が「10月31日までなら開発して良いということですね!」と答えて、実際にビクターは規格戦争に勝ち、1976年10月31日にVHSビデオデッキを発売している。
これも、日本人のメンタリティが絶体絶命の状況でも最後まで闘い抜こうとするゾンビのような生命力を発揮させた1つの例ではなかろうか。

 

話をロースクールに戻すと、結局この時は交渉に成功し、試験日程は延期された。
だが、彼女たちが教授と交渉に臨んだのはこれが最後ではなく、その後もあらゆる場面で少しでも腑に落ちないことがあれば交渉していた気がする。

試験の延期であれば未だ理解できるが、中には「試験を無くしてほしい」という要請をする時もあった。
彼女たちの理屈は「私たちは授業に積極的に取り組んでいるし、課題もしっかりと仕上げた。そのうえでさらに試験なんて、小学生じゃないんだから必要ない。授業への参加姿勢と課題の出来で評価してほしい」というもの。

これは個人的には先程の日程延期以上に困った話だったので、さすがに同意はせず、交渉に関するWhatsappのやり取りは静観してやり過ごした。

先程述べた通り、議論や交渉は苦手だが事務処理能力が高く責任感を持ってゾンビのように闘い抜けるのが日本人のDNAである。グループディスカッションの場ではあまり活躍できなくても、筆記試験であれば、きちんと勉強さえすればそこそこ高得点を取れてしまう。それゆえ、試験を無くされて授業中の発言等だけで成績を付けられるとなると、かなり厳しい(最も、私も日本語圏では特にそこまでインタラクティブな授業に脅えるようなタイプではなかったので、これに関しては英語力による部分が大きいと思う)。

結局、この時は教授からあっさりと却下され、彼女たちの交渉は失敗に終わっていた。教授曰く「試験は唯一全員を公平に評価できる方法だからなくすことは出来ない」とのこと。メルシーボクゥ。

 

交渉したがる西洋人と、徹夜で乗り切ろうとする東洋人、どちらにも長所・短所はあるが、違うDNAを持った人間が集まる多様性あふれる場所に来たおかげで、今まで日本では経験したことのない面白い場面に出会うことができた。
これはまた別の記事で書こうと思うが、ビジネススクールでもアジア人と西洋人で行動パターンが自然と分かれる場面が多く面白かった。

母国語で十分な高等教育が受けられる日本人が、いつでもオンラインで世界と繋がれる今の時代にわざわざ移住してまで海外の大学に行く価値と言うのは、こういった部分にあるのだと思う―――――。