Monamily in Paris (...in London/in Tokyo/in New York/etc...)

派遣留学でパリの街に恋し、東京でアメリカ軍人の夫と結婚し、日系企業の駐在員としてロンドンで単身赴任中の私の純ジャパ奮闘記

【語学学習】スピーキングにおける「Complexity(複雑さ)」「Accuracy(正確さ)」「Fluency(流暢さ)」の話

この記事は、前回執筆した以下の記事の内容を前提として書いているので、未だ読まれていない方は前回記事を先にお読みいただいた方が良いかもしれない。

【語学学習】「なぜ日本人は英語が話せないのか」という議論について - Monamily in Paris

言語のスピーキングレベルを測る上で使われる指標には「Complexity(複雑さ)」「Accuracy(正確さ)」「Fluency(流暢さ)」の3つがあり、当該言語を使って不自由なくコミュニケーションをとるためには、これらのバランスが大事となる。

前回の記事で、「事前に必要な自己学習を行っていなければ、海外移住をしても英語力の伸びは期待できない」という趣旨の話をしたが、スピーキングに的を絞って話すと、「Complexity(複雑さ)」「Accuracy(正確さ)」の2つは日本で勉強した方が伸びる一方で、「Fluency(流暢さ)」は海外生活を通して劇的に伸びるものである。

 

日本国内での学習におけるスピーキング練習の場といえば、独り言やオンライン英会話など、基本的に自分のペースで腰を据えて言いたいことを言える場であることが多い。

どんなにモタモタゆっくり話していても、オンライン英会話講師は自分が話し終わるまで忍耐強く耳を傾けてくれる。
そして、もし自分の使っている表現や語法が間違っている時は訂正してくれるし、より自然な良い表現があれば教えてくれることもあるだろう。
もし、同じ間違いを繰り返したり同じ簡単な表現ばかり使ったりしていれば、再び注意される可能性も高いので、改善しようと努めるし、わからない単語や表現があれば自分で調べて、次回のレッスンで使ってみようと考えるはずだ。

そんなトライアンドエラーを繰り返しているうちに、徐々に使える表現や単語が増えてくるし、間違いも減ってくるため、Complexity(複雑さ)とAccuracy(性格さ)を着実に延ばすことができる。

 

一方、海外生活は日々がサバイバルなので、「こなれた表現で話そう」「正確な文法・語法で話そう」とか、そんなことを考えている余裕はない。
とにかく自分の言うべきことを、タイミングを逸さずに伝えることの方が大事なのだ。

日本国内の日本語の会話であっても、人と会話する時は自分の言いたいことを相手に理解させることが出来なければ会話が成立しない。そして、自分の言いたいことを言葉にするまでに時間を要してしまうと、その間にも相手はどんどん話しを続け、言うべきことを言うタイミングを逸してしまうだろう。そして、言うまでもなく、相手が気にしているのは話の内容であって、内容が伝わっている以上、こちらの日本語が正しいかどうかなんて基本的にどうでもいい(勿論、知的レベルの印象には関わるが、それは意志疎通ができたうえでの先の話であり、最優先事項ではない)。

同様に、外国の生活においても、話し相手はこちらの英語力なんかには一切興味がない一方で、その場で必要とされる意志疎通が図れないとなればお互いに困ってしまう。
言いたい言葉の英単語がわからなくても、会話最中に辞書を引く時間なんてないので、自分の知っている単語で言い換えて説明する力が不可欠となる。

それゆえ、とにかく最速のレスポンスをするために自分の使いこなせる単語をフル動員し、的確な表現が浮かばなければ適宜言い換えをしながら会話を進めるので、自ずとFluency(流暢さ)がグングン伸びていくのだ。

 

この3つの指標の中で、日本人の英語学習者は「Fluency(流暢さ)」の向上に苦労し、ペラペラ話せる人に憧れている場合が多いと聞いたことがあるが、このFluencyは日本国内で伸ばすのが最も難しいため、納得できる。

確かに私も海外移住前はFluency(流暢さ)に悩まされていた(今でも全然流暢ではないが、当時は今以上に特に悩まされていた)。
私はほぼ全く話せない状態からオンライン英会話を始めたが、当時は今の何倍も真面目に英語学習に取り組んでおり、毎朝のオンライン英会話のための予習復習も欠かさなかったので、特にComplexity(複雑さ)とAccuracy(正確さ)に関しては、どんどん上達していった。
スピーキング初心者がよく間違える文法を間違えることもなくなったし、粋な慣用表現を使って講師から驚かれるのも気持ち良かった。
Fluency(流暢さ)については、どんなに色んな種類の鍛錬を重ねても中々改善できず、路頭に迷っていたが、講師との会話では特段支障がなかったため、指摘されやすく改善もしやすいComplexity(複雑さ)とAccuracy(正確さ)の方にいつしか集中して勉強するようになっていた。

ところが、海外移住してからは状況が一変した。
日常生活や学校生活の中で求められる突発的なやりとりに慣れていなかったこともあり、自分の言いたい言葉が全然スラスラ出てこないうえに、とにかくペラペラと話しかけてくる周りの会話のペースに付いていけないのだ。
これは明らかに自分のFluency(流暢さ)が周りの平均水準を下回っているせいであった。

一方で、これは私が暮らしていたのが非英語圏だったこともあるが、周りにはComplexity(複雑さ)とAccuracy(正確さ)についてはイマイチ、場合によってはメチャクチャな人も多かった。

恐らく、フランス人やその他西洋人の場合、言語の近似性ゆえ、母国語を話す感覚でルー大柴のように単語だけ置き換えれば英語としての文章が曲がりなりにも一応成立するため、英語力自体がそこまで高くなくても言いたいことをスムーズにペラペラと話すことはできるゆえ、日本人と逆の現象が起きるのだと思う。実際「書くより話す方が楽だ」と言う西洋人は多く、ボイスメッセージの使用頻度が高いことにも驚かされた

特に私が借りていたアパートの大家さんは、世界中どこにでもいる典型的なオバサンで、相手の話に耳を貸すのも忘れて自分の言いたいことをペラペラと永遠に話し続けるタイプだったのだが、フランス語を直訳したような奇妙な英語を話すので、言っていることを理解するのにも苦労した。

入居したての頃、この大家さんから「アナタのメールの文章見てびっくりしたわ。すごい綺麗な文章書けるのね。アナタ、英語話すより書く方が上手ね。書くだけなら、アタシより英語上手よ」と言われたことがあった。
大家さんはFluency(流暢さ)に関しては私よりも断然ハイレベルだが、Complexity(複雑さ)とAccuracy(正確さ)には欠けるため、このようなことが起こるのだ。

さらに、この大家さんのようなタイプの人たちは、難しい単語やネイティブが使うような慣用表現は知らないことも多いので、私が日本でネイティブ講師から習った粋な表現の類を使う機会もほとんどなく、実際その多くを次第に忘れてしまった。

学校の同級生たちに関しては、さすがに高等教育が受けてきた現代の若者ということもあり、Fluency(流暢さ)だけでなくComplexity(複雑さ)とAccuracy(正確さ)も高レベルな人が多かったが、彼らとの議論や雑談のペースに付いていくためには小難しい表現を使ったり文法誤りを気にしたりしている暇はなかったので、自分が話すときは基本的に簡単な表現でタイミング良く言葉を発するようになっていった。

そんなこんなで周りに揉まれた甲斐もあり、留学生活が始まり半年経つ頃には、最初はポンコツだった自分のFluency(流暢さ)も大分上達していた。

下階に住む若い女の子が連夜パーティで騒音問題を起こした時には大家さんに電話して状況をテキパキと説明する必要があったし、せっかちな同級生が突然電話で試験に関する質問をしてきたときにはサクッと回答する必要があったし、外国人のパートナーと喧嘩をすれば自分の主張を間髪入れずに伝える必要があったので、Fluency(流暢さ)が自然と伸びる必然的な土壌があったのである。

残念ながら、このFluency(流暢さ)を伸ばす環境については、日本国内では(公用語が英語の会社で1日中仕事をしているようなケースを除けば)中々再現が難しい気がする。

だが、海外生活中はFluency(流暢さ)は伸びた一方で、先も述べた通り難しい単語やネイティブが使うような表現は使用頻度が低いため忘れてしまったし、文法・語法誤りも気にしなくなってしまったし、わからない単語を言い換えて説明するスキルも身に付いたため知らない単語があっても辞書を引くのを怠るようになってしまった。
そもそも、せっかく海外にいるのに机に向かって語学の勉強をするのももったいないので、観光や旅行や交流を通じて向上させた方が良いわけで、そこで伸びるのはFluency(流暢さ)のみなのである。

 

ちなみに、Fluency(流暢さ)は主に話すスピードやサバイバルスキルの問題である場合が多いので、先にComplexity(複雑さ)とAccuracy(正確さ)をある程度伸ばしてから、Fluency(流暢さ)を改善する方が良いだろう(さらに言えば、臨界期を終えた大人が行う第二言語におけるスピーキングの鍛錬自体、リスニングやリーディングといったインプットのレベルをある程度上げてから取り掛かるべきであるが、話すと長くなるので割愛する)。
そして、Fluency(流暢さ)が進歩した暁には、簡単な表現や間違った語法で話すことに慣れてしまったことに危機感を覚え、またCompexity(複雑さ)とAccuracy(正確さ)の向上に励もうというモチベーションが湧くものである。

 

つまり、スピーキング力を総合的に伸ばしたければ、まずは日本国内の自宅で独り言やオンライン英会話等を通じたComplexity(複雑さ)とAccuracy(正確さ)の鍛錬を丁寧に行ったうえで、海外への滞在(私の場合は大学院留学だったが、英語を使って何かをする状況に身を置けるのであれば語学留学でも駐在でも休暇でも何でも良いと思う)を1年以上経験してFluency(流暢さ)を鍛え、また日本に帰ってさらなる向上を目指すのが最も良い方法だと思う。

スピーキングの学習・評価をする際には、「英語が上手に話せる・話せない」という言葉で片付けてしまう前に、「Complexity(複雑さ)」「Accuracy(正確さ)」「Fluency(流暢さ)」の3要素を意識することが、上達のカギを見つけるためにも非常に重要だと個人的には考えている。

 

※「色々考察」シリーズの記事一覧は以下のリンクよりご覧いただけます。

monamilyinparis.hatenablog.jp