Monamily in Paris (...in London/in Tokyo/in New York/etc...)

派遣留学でパリの街に恋し、東京でアメリカ軍人の夫と結婚し、日系企業の駐在員としてロンドンで単身赴任中の私の純ジャパ奮闘記

【フランス生活】不便が前提だから助け合えるパリ、便利が前提だから他人に無関心な東京

パリの地下鉄の駅にはエレベーターやエスカレーターが無いケースが多い。その他、居住用・商業用の建物内であっても階段しかないことも少なくない。エレベーターはあったとしても非常に狭く、スーツケース2つ乗せるのがギリギリみたいなサイズが多い。エスカレーターがあるのは大型の駅やデパートなど、要は横幅が十分に確保できるくらい広々とした場所だけである。

ゆえに、基本的にパリでメトロに乗る時は、スーツケースや大きな荷物を持っていても階段を上り下りしなくてはいならない。

 
 
 
 
 
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手が2つしかないので、3つ以上荷物を持ち運ぶ必要がある時はさすがにタクシーやウーバーを使ったが、荷物2つなら公共交通機関だけで移動することもあった。階段の上に1つ荷物を残したまま、もう1つの荷物を持って駆け下り、その後もう1つの荷物をそこまで下ろすこともあったが、不用心なのでなるべく気合で2つ同時に持って下りるようにした。

だが、そんな時は十中八九、誰かが声をかけてきた―――――。

「大丈夫?手伝いますよ?」

最初は警戒心から断ることもあったが、本当に親切心で声をかけてきてくれていることが徐々にわかってきた。

仮に断ったとしても、「いや、あなたにこの荷物を1人で運ぶのは無理!私が手伝うから。一緒に運びましょう。わかった?」と言って結局手伝ってくれることが多い。

私のスーツケースなんぞはどうでもいいとしても、ベビーカーや車椅子の人だっているわけで、階段以外の選択肢が無い以上、誰かが手伝わないとその人たちは下りることができないのだから、助け合いは当たり前なのだと理解した。

そして私も可能な限り困っている人がいた時は助けようとした。大概、私より頼りになりそうな人が先に手を差し伸べるので、誰かの役に立てることは殆ど無かったが、少なくともそれが当たり前の考え方なのだとは心得ていた。

 
 
 
 
 
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そして、助けが必要な人は自分から頼んでくることも多く、とてもわかりやすい。電車の中では、よく高齢者や妊娠中の人等から「私座りたいから、席譲ってくれる?」と声をかけられた。日本では優先席やカバンにつける妊娠中のタグなどがあり、便利で良いものではある一方で、コミュニケーションを取らずに物事を解決できるゆえに他者に無関心になありがちである。

その他にも、折り畳み式の座席に座っていると「電車が混んできたから立ってくれる?」と言われることがあった。日本人の感覚だと全然混んでいるとは思えない程度の混み具合だったので座り続けていたが、この街の基準では既に椅子を折りたたむ必要がある混み具合だったらしい。とにかく彼らは人と会話をする。日本、特に東京では一言も発さずに済むような場面でも会話が起こる。

 
 
 
 
 
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東京・首都圏で駅改札口を通り抜ける際、SuicaPasmo等の交通系ICカードの残額が足りずに引っかかってしまうと、後続の乗客たちにも迷惑をかけてしまうこととなり、中には思い切り舌打ちされる場合もある。皆が忙しいのに、自分の間抜けな不注意のせいで流れを止めてしまうわけだから、もちろん自分が悪いわけだが、一方で都民は予定調和を当たり前と考えすぎている部分はあると思う。

パリの地下鉄は全区間統一料金のため、改札にICカードをタッチするのは乗車駅だけで、降車駅の改札のゲートは手で押して開ける手動タイプとなっている。通勤ラッシュなどで混んでいる時間帯は、次の人のために扉を押さえてあげるのが通例で、後続の人は必ずお礼を言う。扉を押さえている人は、後続者がモタモタしていても気にせず待ってくれる(フランスでは、エレベーターに「開」ボタンはあっても「閉」ボタンはないので、フランス人は待つことに慣れているのかもしれない)。

お礼というのは、言うのも言われるのも気持ちが良いものだ。フランスに住んでいた頃は、1日に5回以上は他人にお礼を言う場面があったせいか、どんなに電車が遅れたり途中で止まったりしても、不思議とそんなにイライラすることはなかった。

日本では「ありがとう」の代わりに「スミマセン」を言うことが多いが、「スミマセン」を言うと自分が悪いことをしているみたいで気分が沈む。「こんにちは」の代わりに「お疲れ様です」を使うことも多いと思うが、これも何だか疲労感が増す気がする。フランスに長く住んでいる日本人から届くビジネスメールは「お世話になっております」ではなく「こんにちは」で始まる。日本に住む日本人ももっと「こんにちは」と「ありがとう」を使えばいいのに、と思ってしまう。

 
 
 
 
 
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帰国して数ヶ月が経ったある日、在宅勤務の昼休みに仕出し弁当を買いに近所の小料理屋を訪れた。コロナ以降急激に増えた、居酒屋や料亭が昼間店外に弁当を並べて持ち帰り用の弁当を売るパターンの営業形態である。

私が弁当を注文し支払いを済ませ提供を待っている間、車椅子に乗った高齢の女性と介護士が店の前に現れた。

「中で食べることもできるの?」

介護士が弁当販売をする店員に尋ねた。

「はい、できますよ。2階でお召し上がりになれます」

店員が回答する。

「エレベーターはある?」

再び介護士が尋ねると、店員は残念そうな表情で、

「すみません、無いんですよ・・・・」

と答えた。

 

この時、私は「手伝いますよ」と言いかけて、声を飲み込んだ。2階まで車椅子を運ぶことさえできれば良いのだから、誰かが手伝えばいいだけの話だと思った。だが、店の人が弱腰なところを見ると、恐らく店内も忙しく彼女たちのために時間を割ける人員もおらず、さらには仮に何か事故があっては大問題なので、面倒には関わりたくないのだろうと察した。勿論、もっともである。反論するつもりはない。また、私自身も彼女たちが食べ終わるまで待って帰りも手伝うことができるかというと、仕事があるので難しい。中途半端に手を出して迷惑をかけるつもりもなかったので、何もできずにただその情景を眺めていた。

 

「そうですか」

介護士はそう言って、車椅子を押しながらその場を立ち去って行った。
その後、私も弁当を受け取り、小料理屋を去った。

 

何が正しくて何が間違っているという話ではない。ただ、エレベーターがあるのが当たり前だから、そうでない場合は諦めるしかないというのも何となく悲しいと感じた。

便利なのが当たり前になると、そうでない場合のアクションが鈍くなる。人間同士が助け合えば簡単に解決するような場合も、コミュニケーションの面倒さからつい逃げ出してしまいがちになる。これは私自身に大いに当てはまることである。

「日本は便利だけど、日本では暮らせない」という在仏日本人の言葉の意味が、少し理解できた気がした。

 

※【フランス生活】シリーズの記事一覧は以下のリンクからご覧いただけます。

monamilyinparis.hatenablog.jp