Monamily in Paris (...in London/in Tokyo/in New York/etc...)

派遣留学でパリの街に恋し、東京でアメリカ軍人の夫と結婚し、日系企業の駐在員としてロンドンで単身赴任中の私の純ジャパ奮闘記

ワクチン接種は自由を手に入れるための代償?~フランスと日本の比較~

以前の記事「"Let it Go" から読む日本人とフランス人とアメリカ人の違い - Monamily in Paris」が好評だったので、今日はこの記事で取り上げたアナと雪の女王(Frozen)の主題歌"Let it Go"のフランス語吹替版に出てくる「寒さは自由を手に入れるための代償」という歌詞に着目して、コロナ禍のワクチン接種に対するフランス人と日本人の考え方の違いを掘り下げていきたいと思う。

新型コロナウイルス感染症のワクチン接種が開始された時、日本人ないし日本国居住者はどのような理由で接種することを決断したのだろうか。
「感染防止のため」と言ってしまえばそれまでだが、そもそもなぜ感染したくないのかと考えた時、万人が最も腑に落ちる最終的な答えは「人に迷惑をかけたくないから」ではなかろうか。
自分が知らぬうちに感染して免疫力の弱い高齢者等にうつしてしまうのも迷惑の1つだが、自分が感染して仕事を休むことになるのも周囲への迷惑の1つだし、さらに自分の身近な人が濃厚接触者として自宅待機を強いられてしまうのも迷惑の1つと言える。
また、周りが皆ワクチン接種をしているのに、自分だけが接種してなければ、それ自体が迷惑の1つとなり得るかもしれない。
このような半ば消極的な理由でワクチン接種する以上、なるべく副反応が軽微な方が良いとか、逆に副反応は強くてもしっかり効き目がある方が良いとか、安全性が担保されたものが良いとか、ワクチンの種類についても慎重に調べるケースが多い。
ワクチンを打ったところで直接何かが手に入るわけでも何かを失うわけでもなく、あくまでも色々な意味での予防線を張るために打つのだから、慎重になるのも理にかなっている。

一方、フランス人ないしフランス居住者のワクチン接種理由は何だろうか。
言うまでもなく「自由を手に入れるため」である。
なぜなら、期日までにワクチン接種が2回済んでいなければ、飲食店や公共交通機関や美術館などの利用や国外旅行が制限されるルールが制定されていたからだ。
私はフランスでのワクチン接種予約受付が開始されると同時に、とにかく1日でも早く接種可能な会場を探して予約した。
フランスには日本のように接種券のシステムはなく、インターネットで予約するだけで誰でもどこでも接種できる。不法滞在の移民も感染源となられては困るわけだから、誰でもワクチン接種できるのは合理的だと思った。
このインターネット上で繰り広げられるワクチン接種予約合戦は、チケットぴあで有名アーティストのコンサートのチケットを必死で購入するときの感覚に近い。
空きスロットを見つけても瞬時に取らないと他の人に取られるため、常に画面に張り付いて注視していなくてはならない。
尚、私のワクチン接種の目的はフランス人や他のフランス居住者と同様に、自由を手に入れるためだった。
1年数ヶ月しかフランスに住めないのに、自由を奪われてパリ生活や欧州旅行が楽しめないなんて冗談じゃないと思ったので、ファイザーだろうがモデルナだろうが何でも良いからさっさと打ちたかった。
副反応についても知ったこっちゃなかった。アナ雪フランス語吹替版のエルサが歌っていたように、自由を手に入れるためには代償を払う必要があるのだ。
だからこそ、ワクチンパスポートは私にとってのフランス人権宣言であり、自由権の証そのものであった。

多くの日本人が「フランスはコロナ禍でもノーマスクで外を出歩けてとても自由だった」と勘違いしていたようだが、コロナ禍で課されていたマスクのルールはフランスの方がよほど厳しかった。
マスク着用義務に違反すれば罰金は1万円以上とられるし、常習犯だと罰金は更に値上がりする。
但し、感染者数や医学的な見識を考慮してルールは頻繁に変更され、マスク着用義務は途中で屋内だけになり、私の日本帰国後には完全撤廃された。
一方の日本では、そもそもマスク着用ルールは一度も制定されたことがないし、ノーマスクで歩いていても罰金を取られることはない。
周りから後ろ指を差されることを恐れるがゆえ、各個人が任意で自主的にマスクを常に着用してるだけに過ぎない。
厳しい取締が行われたフランスは、何も法制化されたルールのない日本よりも、本当に自由だったと言えるのだろうか。

アナ雪Let it Go 吹替版考察の記事でも述べたとおり、フランス共和国は民衆が革命を起こし、多くの犠牲と引き換えに自由権を勝ち取ることで建国された国である。
日本の歴史にも大化の改新明治維新のような区切りのイベントはあったが、天皇制が神武天皇以来一度も途絶えずに続いていたため、「日本に実質的な革命はなかった」という見方をされることが多い。
それゆえ、アナ雪フランス語吹替版でエルサが歌っていたとおり、フランス人はDNA レベルで「自由は自ら掴み取りに行くもの」「代償は自由を得るために払うもの」と心得ている。
そして、こうして勝ち取った自由を自ら放棄することは決して起こり得ない。
だからこそ、国民の自由を制限するためには、明確な罰則付ルールが必要で、かつ政府は依然として彼らが代償を払うことで手に入れられる自由を残しておく必要がある。この自由さえも無くなれば、再び革命が起こってしまうだろう。

一方、一度も革命が起こらなかった日本では、自由を勝ち取るという概念自体がそこまでピンとこない。
さらに、何よりも「人に迷惑をかけない」という価値観に重きを置く文化の中では、人様に迷惑をかけてしまえば周囲から冷たい視線を浴びせられるため、自由を勝ち取るために目立った行動でも取ろうものなら、結果的に自身の心は自由ではなくなってしまう。

とはいえ、この異常な状況が続けば、アナ雪日本語吹替版のエルサが今まで「周りの目を気にして」着用してきた手袋を「ありのままの自分を信じる」ことを決めて外すように、日本国民もマスクを外して、ありのままの姿を見せる日が訪れるかもしれない――――――。

 

※「色々考察」シリーズの記事一覧は以下のリンクよりご覧いただけます。

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※「フランス生活」シリーズの記事一覧は以下のリンクよりご覧いただけます。

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