Monamily in Paris (...in London/in Tokyo/in New York/etc...)

派遣留学でパリの街に恋し、東京でアメリカ軍人の夫と結婚し、日系企業の駐在員としてロンドンで単身赴任中の私の純ジャパ奮闘記

【コロナ禍の欧州旅行】イタリア周遊 第1部・まるで亡命?渡航準備編 ~イタリア保健局との電話やりとり~

法科大学院の全ての授業を修了した2021年6月、私は念願のイタリア旅行に出ることに決めた。
フランスに移住するまではあまりヨーロッパに詳しくなかった私でも、イタリアは何となく行ってみたいと思っていた国である。

色々調べた結果、6泊7日で北イタリアの都市ヴェネツィアフィレンツェ・ローマを訪れることに決めた。
また、ヴェネツィアからはムラーノ島ブラーノ島にも訪れ、フィレンツェからはピサとチンクエ・テッレにも訪れることにした。

北イタリアで6泊7日観光の場合、ミラノにも行くのが一般的かもしれないが、個人的に大聖堂以外にそこまでめぼしいスポットがなかったのと、ヴェネツィアフィレンツェから行ける小さな島や村にも行ってみたかったので、ミラノは外すことにした。

今までの記事ではあまり行程を記載してこなかったが、今回は周遊しているので以下の通り紹介。

・6/6 Sun(1st 観光:ヴェネツィア 宿泊:ヴェネツィア市内)
・6/7 Mon(2nd 観光:ムラーノ島 → ブラーノ島 宿泊:ヴェネツィア市内)
・6/8 Tue(3rd 観光:フィレンツェ 宿泊:フィレンツェ市内)
・6/9 Wed(4th 観光:ピサ → チンクエ・テッレ   宿泊:フィレンツェ市内)
・6/10 Thu(5th 観光:ローマ・バチカン市国 宿泊:ローマ市内)
・6/11 Fri(6th 観光:ローマ 宿泊:Fiumicino空港)
・6/12 Sat (7th 観光:なし 宿泊:自宅)

当初はローマから入ってヴェネツィアに出る逆回りコースを考えていたのだが、フランス帰国前にPCR検査を受ける必要があったため、病院が見つけやすい大都市のローマを最終目的地とする上記コースに変更した。

 

そう、2021年6月といえば、欧州でさえ未だ所謂ワクチンパスポートが無かった時代である。
殆どの国では、入国時にはPCR検査または抗原検査のどちらかでの陰性証明が必要であった。
イタリアとフランスも例外ではなく、イタリアは入国前48時間以内の抗原検査陰性証明、フランスは入国前72時間以内のPCR検査陰性証明を求めていた。
(余談ながら、コロナ初期にフランス移住したため、フランス在住中はコロナ禍で使われ始めたような日本語語彙を色々知らず、「抗原検査」という日本語を知ったのは日本帰国後であった)

この数ヶ月後には各国の入国規制を調べられるウェブサイトなども登場したが、この頃は未だ大使館や政府のウェブサイトから直接情報収集するのが一般的であった。
当然、日本からではなく、フランスからイタリアに渡航するため、情報源は「在フランスイタリア大使館」と「在イタリアフランス大使館」となる。
つまり、基本的に最新情報を正確に得るためには、フランス語又はイタリア語で書かれたホームページから情報収集する必要があったのだ。

 

さらに、当時のイタリアでは州ごとに別のルールが敷かれており、政府のホームページで各州のルールを調べようとしたところ、私が着陸するヴェネト州については、

「州の保健局に電話で確認しろ」

と書かれていた。

えっ・・・・(@ ̄□ ̄@;)!!

21世紀になって大分経つのに、電話・・・・?

ヴェネツィアに旅行する人は全員電話することになるけど、保健局の電話パンクしないの・・・?

全く意味が分からない。
友人に相談することも考えたが、コロナ禍の入国規制ルールは頻繁に変更されるため、最新情報は自分で当局に確認したほうが無難である。古い情報を鵜呑みにして結果的に入国できなかったらシャレにならない。

仕方ないので、ウェブサイトに記載されていた保健局の電話番号に発信することにした。

「Buon giorno!」

保険局の担当者は電話に出るや否や、マシンガンのようにイタリア語で何かを話し始めた。

「ぼ....…ボンジョルノ! Actually, I don't speak Italian but I have some questions about...」

 とにかく聞きたいことを質問せねば、と私が英語で話し始めると、彼は怪訝そうな声で言い放った。

「What? Don't you speak Italian? (何?あんたイタリア語話せないの?)」

「Sorry, I don't (ごめん、話せない)」

「Why?(なぜ?)」

えっ・・・・(@ ̄□ ̄@;)!!

イタリア語話せないことに理由が必要なの!?Σ( ̄□ ̄|||)

「Because I've never been to Italy and it's the first time to visit....(今までイタリアに一度も行ったことなくて、今回初めて行こうと思ってて・・・)」

私は唖然とした表情で回答した。

「Where are you living? (あんた何処住んどるねん)」

「I'm living in Paris (パリに住んでますけど・・・)」

すると、保健局担当者は突然フランス語に切り替え、

「D'accord, Tu parles français alors. Je peux aussi parler français. (わかったよ、じゃあフランス語なら話せるだろ?俺も話せるぜ)」

と言って、今度はフランス語でマシンガンのように話し始めた。

「W...wait, I don't speak French a lot.... (ちょ、ちょい待って、私フランス語も殆ど話せないねん)」

「Why? (なんで?)」

あー!再び理由聴かれた(@ ̄□ ̄@;)!!

そして、さっきとは違ってフランスに住んでるのにフランス語話せない理由聴かれてるから、何か悪いことしてるみたいな気分に苛まれるんですけどΣ( ̄□ ̄|||)

「Because I moved to France just a few months ago....(数ヶ月前にフランスに移住したばっかりだから未だ話せないねん・・・)」

「Where are you from? (どこ出身?)」

「I'm originally from Japan. (日本なんよ)」

「Japan? You'll need to take two-week quarantine if you come to Italy. (日本?日本からだと、イタリア着いて2週間隔離必要だぞ?)」

いや、だからパリに住んでるってさっき言ったやん(@ ̄□ ̄@;)!!

何で日本から渡航することになってんねんΣ( ̄□ ̄|||)

「Ah...anyway, I have some questions. Could you speak English please? (あああ・・・とにかく、質問があるんです。英語で話してもらえませんか?)」

気を取り直して話を本題に戻そうとしたところ、

「No, I don't speak English a lot. Wait for a minute. My colleague will come back soon. He can speak English well. (んにゃ、俺は英語沢山は話せない。ちょっと待ってろ。同僚がもうすぐ戻るから。そいつは英語うまい)」

と言い放たれ、その同僚とやらが戻ってくるのを電話越しに待たされることとなった。

結局、その同僚は親切に英語で対応してくれて、ヴェネツィアで必要なのはイタリア入国に必要な書類のみで、ヴェネト州オリジナルの要件は無いということがわかり、私は安心してイタリアに渡航することができた(尚、この無駄に長引いた国際電話のせいで、当月の携帯電話料金が普段よりも1000円以上高かったのは言うまでもない)。

 

コロナ禍初期の国外旅行では、ただの観光目的の渡航でも亡命するかのような入念な下調べと準備が必要となる。

日本では皆周囲の目を気にして旅行すること自体を自粛するが、欧州ではルールさえ問題なければ皆自由に旅行する。
だが、その自由には当然責任が伴う。検査結果の要件未達で入国できなかったり、マスクの種類が旅行先の指定したモノに該当せず罰金を取られたり、最悪の場合は本国に帰って来れなくなるリスクさえもある。
それらのリスクを防止するためには、入国要件を自ら入念に確認するしかない。勿論、抜け漏れがあってもチェックが厳しくなかったために何事もなく旅行を楽しんだ人も少なくはなかっただろう。
しかしながら、最悪の事態が考えられる以上、特に現地語がマトモに話せないような人間はトラブルに巻き込まれるリスクも高くなるため、必ずきちんと準備した方が良い。

さて、今回は渡航準備だけで1つの記事となってしまったが、次回以降は実際に私が訪れたイタリアの都市についてお話ししていきたい。

 

※【コロナ禍の欧州旅行】シリーズの記事一覧は以下のリンクよりご覧いただけます。

monamilyinparis.hatenablog.jp

【コロナ禍の欧州旅行】トルコ・カッパドキア&イスタンブール編

まず、タイトルを見て「欧州旅行と言いつつトルコ?」と思われた方もいるかもしれないが、在仏中に訪れた中で唯一の欧州圏外がトルコだったので、ここにカテゴライズさせていただきたい。

このコロナ禍旅行シリーズを執筆する際には毎回「次はどこの都市の記事を書こう?」と考えるのだが、1人で訪れた国の方が地元の人に絡まれた系のエピソードが多く記事っぽい記事になりやすいので、今回もその中からピックアップし、トルコ編を書いていきたいと思う。

以前の記事でも述べた通り、1人で旅行する時は基本的に弾丸旅行かつ写真スポット中心の巡り方となる。

 

私がトルコを訪れたのは2021年の11月、ビジネススクールの授業の合間を縫っての旅行となった。
土曜夕方に学校の授業が終わるとその足でパリのシャルルドゴール空港へ向かい、深夜便でイスタンブールまで移動し、明け方に到着。そこから早朝の国内便でカッパドキアの最寄り空港まで移動し、朝9時過ぎに現地到着するや否やバスツアーに参加するという超強行スケジュールだった。

旅行先にトルコを選んだ理由は、Instagramで見たカッパドキアの朝日に浮かぶ気球の幻想的な写真に感動し、自分も体験したいと思ったからである。
また、今までの旅行先とは雰囲気の違った場所に行ってみたいと考えた結果、自然と東の方へと気持ちが向いたのもある。
初日が機中泊で、翌日はカッパドキアを楽しんだ後カッパドキア泊、その翌日はカッパドキアを楽しんだ後イスタンブールに移動してイスタンブール泊で、更にその翌日はイスタンブールを観光した後空港直結ホテルに宿泊し翌朝早朝便でパリに帰るという、トルコ人に言わせれば「オマエオカシイ。ミジカスギル」旅程であったが、結果的に自分には丁度良い長さの旅行期間だった。
以前の記事でも述べた通り、1人で旅行をする時はとにかくサクサク動いて絶景の写真を撮ったらサッと帰る派なので、同じような考え方の読者の方がいたら、天候さえ許せば同じ旅程でも十分満足できると思う(とはいえ、個人的にトルコは一人旅にはオススメ出来ないので、恋人等と来てもう少しゆっくり過ごす方が良いかもしれない)。

 

往路の国際線の機内では、キャビンアテンダントからマスクを着用するように言われたトルコ人男性客が頑なに拒否して、しばらく問答が繰り返されたせいで、他の乗客への機内食の配布がだいぶ遅れた。なぜそこまで断固としてマスクをつけようとしないのだろうか、その場だけ言うとおりにしてやり過ごせば済む話なのに思った。

何とか明け方イスタンブールの空港につくと、すぐにSIMカードを購入した。フランスのSIMカードのまま同じ通信料金でスマートフォンを使えない国に旅行するのは初めてだったので、不便に感じたが欧州圏外なので当たり前である。

また、少しお腹も空いていたので、チキングリルと焼きそばのような軽食をとった。パリで暮らし始めてから、日本のコンビニやフードコートに売っているようなこの手の軽食には久しく出会えていなかったため、とても美味しく感じた。

その後国内線でカッパドキアの最寄り空港まで移動し、ホテルの送迎車で一旦ホテルに向かいチェックインしてからツアーに参加する予定としていたが、この時の行程にはかなり不安を覚えていた。
ツアーの開始は9:30からだったのに対し、国内線が空港に到着するのは9時だったため、事前にホテル経由でツアー会社に相談していたのだが、ホテル担当者のコミュニケーション力が難ありで、「あんたがホテルにチェックインしてからピックアップするから大丈夫」みたいな回答ではあったものの、細かい質問事項はほぼ無視されていたので、本当に参加できるのか不安だったのだ。

結局、送迎車はホテルではなく旅行代理店の事務所のような小屋で私を降ろし、そこにいたホテル担当者に荷物を預け、私はツアーの車を待つことになった。
ホテル担当者はお茶を出してくれて「ごゆっくり」と微笑んでいたが、全く気が休まらない。何せ事前のやり取りでは先にホテルにチェックインすると言われていたのに、最初から全然話が違う。本当に大丈夫だろうかと益々不安になっていたが、10分程度でツアーバスが現れ、無事にツアーに参加できたため、一安心した。

私が参加したのは「レッドツアー」というカッパドキアの王道ツアーだった。基本的にツアーは待ち時間や無駄が多いので1人では参加したくないのだが、公共交通機関が無い観光地では他に取りうる手段がないため、仕方がなかった(案の定、自分以外の参加者3組は全てカップルで、待ち時間も退屈せずに自分たちの時間を楽しんでいた)。
このツアーのツアーガイドの男性は、私がトルコで出会った地元民で最もマトモで信頼できる人物であった。
ツアーガイド以外に声優の仕事もしているらしく、割と有名な映画(名前忘れた)のトルコ語版吹替を担当したこともあると話していた。
確かに良い声だし、英語も上手で説明もわかりやすかった。たまたま二人きりになった場面で、ふと「多国籍で個性豊かな他の参加者たちはマイペースに自分勝手に行動するので大変だった」と愚痴を零していたのも覚えている。

レッドツアーでは以下のような岩々のスポットを見て回ることになっている。

 
 
 
 
 
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人気スポットでは、ツアーガイドが気を利かせて写真を撮ってくれることも多々あった。

 
 
 
 
 
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また、ツアー参加者全員で「あそこに見えるそれぞれの岩が何に見えるかディスカッションしましょう」みたいなコーナーもあり、中々楽しかった。バイキング形式の昼食も食べやすかったし、ツアー全体を通して満足感は高かった。唯一、不快だったのは行程の中に高級ブティックのような店に行くことが組み込まれており、店の販売員が少々強引に購入を勧めてきた点だが、観光一本で生きている小さな町の商店が生き残るためには観光客を採り入れるしかないし、全てのバスツアーにこの手の営業が組み込まれていることを考えると、観光客側にも選択肢が無いため、致し方ない。

 
 
 
 
 
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ツアーが終わり、ホテルの前で車から降りると、最初に旅行代理店で荷物を預けたホテル担当者が出迎えてくれた。
私より少し若く背が低く、とにかくフレンドリーな雰囲気の男なのだが、どうもこの男のことは何となく信用できないというか、一言で言うと苦手なタイプだった。
何となく自分の荷物が心配になりどこにあるか尋ねたところ「部屋にあるよ」と言われ、実際部屋に置いてあったし、その後もこの男は基本的に誠実に仕事をしていたのだが、人との距離感が日本人の考えるそれとはだいぶかけ離れているのと、事務処理能力があまり高くないことから、常に半信半疑になってしまった(とはいえ、これはトルコで出会った地元男性の殆どに当てはまり、この男だけの特性というわけでもないということを知るまでにそこまで時間はかからなかった)。

ホテルはDivan Cave Hotelという洞窟型の四つ星ホテルで、豪華で趣のある部屋に素晴らしい眺めの屋上もあり、新婚旅行にも十分オススメできるレベルのクオリティにもかかわらず、お値段だったの1泊10,469円!(ジャパ〇ット風)だったので、かなり驚いた(最も、私が旅行したのはコロナ禍だったため、通常時は18,000円くらいはかかる模様である)。

部屋で一息ついた後は、例のホテル男に夕陽と夜景が綺麗に見えるスポットに連れて行ってもらうことになっていた。出来れば1人で行きたかったが、徒歩で向かうのは困難な場所であったこともあり、この男の誘いを承諾し、彼の原付バイクに二人乗りして山に登った。
私自身、危機管理能力は低い方ではないので、危ない人間は大体感知して事前に遠ざけるようにしているが、この男の場合は「危なくはないし誠実だが、会話も面白くないしイライラするポイントが多いにもかかわらずやたらフレンドリーで面倒くさいので、できれば友達になりたくないタイプ」という中途半端な位置づけだったため、どうもキッパリ断りきれなかった。

実際、山からの景色は最高だったし、良い写真も撮れたので、来て良かったとは思っている。
だが、この男が投げかけてくる質問が全て「なぜ君は○○と考えるのか」とディベートチックな詰問の上に内容も全然面白くないので、あまり楽しむことはできなかった。

 
 
 
 
 
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ホテルに戻りこの男と別れると、別のホテル従業員から「良かったら一緒にバーに行かないか」と誘われたが、適当に理由をつけて断った。
また、部屋に戻ると最初の男からWhatsappで「明日の気球ツアーの後、時間があるなら他のスポットに連れて行くよ」とメッセージが届いていたが適当に流したところ、状況を察したらしく、翌日はチェックアウトまで必要以上にフレンドリーな会話をしてくることはなかった。
ちなみに、この後出会うトルコ人男性のほぼ全員が、ホテル従業員からレストランのウェイター、土産屋の店員から通行人まで皆こんな感じでデートに誘ってきたから驚きである。どうやら、イスラム圏では同じムスリムの女性に声をかけることはご法度であるため、トルコ人男性たちは観光客・特に日本人女性を積極的に手あたり次第ナンパするようだ。そして、今回はコロナ禍で他に日本人観光客がほぼ皆無だったため、自分にターゲットが集中してしまったようで、本当に気の休まらない旅となってしまった。
きちんと断ればしつこく迫ってくることはないため危険性は無いが、とにかく本当に面倒だったので、アジア人女性の一人旅は絶対にお勧めしない。複数人でも女性同士だと依然リスクはあるので、カップル又は家族での旅行が望ましいと思う(ちなみに、フランス人の女友達は同時期にトルコの一人旅を楽しんだと言っていたので、西洋人であれば女性の一人旅でもストレスなく楽しめるのかもしれない)。

 

さて、気を取り直して、翌朝はお待ちかねの気球ツアー。
朝4時台に出発、しかもフランスと時差が1時間あるのでフランス時間だと朝3時に相当し本当に起きれるか不安だったが、無事に送迎車に乗り込むことができた。
車を降ろされたのは旅行代理店の事務所のような場所。軽食のようなものが用意されており、沢山のツアー参加客たちが飲食しながら待機していた。
参加者たちは順番に名前を呼ばれ、別の車に乗せられ気球乗り場に向かうのだが、この待ち時間が思った以上に長かった。最初の送迎で自分と一緒だった人が必ずしも同じタイミングで呼ばれるわけでもないようで、仕切りがよくわからないため、本当に呼ばれるのか不安になる。繰り返しになるが、同行者がいれば会話するなど暇つぶしできたと思うので、この側面も含め一人旅には不向きの旅行先である(苦笑)。
そして、ようやく名前を呼ばれて気球スポットに到着したあとも、気球は「これから膨らませます」という状況だったため、さらに待たされることとなり、結局気球に乗れたのは朝7時半近くであったから驚きである。

既に空も大分明るくなってきていたので、本当に朝日の中に浮かぶ気球の幻想的な世界を見ることができるのかも心配で仕方なかったが、結果的に予定通りの光景を見ることができ、理想の写真を撮ることもできた。
この景色を見た瞬間、過去3時間に被ったストレス(さらに言えば前日のストレス)が、吹き飛んだような気持ちになった。

 
 
 
 
 
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ちなみに、気球ツアーは強風など天候条件次第では中止となることも多く、確率は5分5分とのこと。
よって、通常の観光客は最低2泊以上カッパドキアに滞在してチャンスを窺うらしく、それでも一度も気球が飛ばずにツアーに参加できずに終わるケースも少なくないようだ。
私は旅行計画段階でかなり入念に天気予報と風況を確認したうえで、カッパドキアに泊まる日の狙いを定めていたが、それでも予報が外れれば気球に乗れなかった可能性はあったため、たった1回のチャンスで当たりを引いたのは本当にラッキーだったと思う(尚、仮にもう1泊していて翌朝も気球が飛んだ場合、ホテルの素敵な屋上から気球を眺める機会もあったため、いずれにしても時間に余裕がある場合は2泊以上で組んだ方が良いと思う)。

気球ツアーの後はホテルで朝食をとったが、この朝食も会場の雰囲気含め何とも素晴らしかった。以前の東欧旅行の記事にも朝食について書いたことがあったが、やはり陽が昇るのが早い国の方がキチンと朝食をとる文化があるのか、東に行けば行くほど朝食のクオリティが高い気がする。

朝食の後も何かのツアーに参加しようと思えばギリギリできたかもしれないが、午後一には空港に向かわねばならなかったため、ツアーには参加せず適当に町を探索することとした。
やはり、この町で徒歩で歩き回れる場所は限られている。何となく町の雰囲気を楽しむことはできても、カッパドキアでの醍醐味は色々なアクティビティに参加することだと思うので、そのためにはツアーに参加するしかないということは改めて実感した。
だからこそ、ツアーの内容やそれを斡旋するホテルの対応に多少問題があっても、殿様商売ゆえに(彼らの国民性もあるが)改善されないのだろう。

 
 
 
 
 
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散策後、昼食を済ませてカッパドキアを旅立ち、無事にイスタンブールの空港へ到着したものの、ここでも一悶着あった。
少しでも早く市内に到着するために送迎を予約していたにもかかわらず、ドライバーが見当たらない。タブレットに名前を掲示して立っていると聞いていたが、どこにもいないのだ。結局、何度かホテル担当者と電話でやりとりをしてドライバーと会うことができたが、ドライバーから出た最初の言葉は謝罪の言葉ではなく「你好! Do you speak English?」だったので、唖然として怒る気力も失い「Yes, but I'm not Chinese. I'm Japanese」と答えたところ「アニョハセヨ?」と返ってきたので、最早本当にどうでもよくなってしまった。

その後、ホテル担当者に怒りをぶつけても、「Okay dear, calm down :)」 みたいなメッセージが返ってくるので、本当にこればかりは彼らのフレンドリーでのんびりとした国民性で、どうにもならないのだと諦めた。
このホテル担当者はちゃらんぽらんな若者という印象で、フレンドリー且つ適当すぎる連絡メッセージに最初はイライラしたものの、1日経つ頃には、彼が「Hey sister,」と書いてメッセージを送ってきた際には「Hey brother,」と返すまでにこちらも慣れてきていた。

彼らの大半は決して悪い人間ではない。ただ、我々日本人とはあまりに文化的にかけ離れているので、コミュニケーションをとるのには中々苦労してしまう。

 

カッパドキアで天候に恵まれた分、イスタンブールではずっと大雨だったため、町を歩くにも一苦労だったが、ひとまず有名スポットの写真を撮ったり、トルコ料理を楽しんだり、雰囲気は味わうことができた。

 
 
 
 
 
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ちなみに、レストランに行けば、頼んでもいないのにデザートプレートがおまけに出てくる。それを食べた後にウェイターからのデートの誘いを断っても特に何の問題も起きることはなかったが、やはりそのやりとり自体が面倒だった。

 

フランスへの帰国前夜、早朝便に乗るために空港内のホテルが宿泊することになっていたので、前日に宿泊したホテルから空港内ホテルまでの送迎を頼んでいた。
前日に宿泊したホテル、即ち「Hey sister,」のちゃらんぽらん兄ちゃんがいるホテルは1~2階がレストランとなっていたため、最後の晩餐はそのレストランで楽しむことにした(ちなみに、このホテルにはフロントが無く、かつ私が泊まった部屋にはキングサイズベッド1つの他に2段ベッドが1つ置かれていたので、昔はレストラン従業員の寮だったのではないかと推測している)。
このレストランのウェイターたちも明るくフレンドリーな人たちで、デザートやらお茶やらコーヒーやら、送迎車が来るまでの間色々と無料で提供してくれた。

空港直結ホテルは、イスタンブール市内やカッパドキアのホテルとは違い、スタッフはビジネスライクでまるで東京のようだった。
矢継ぎ早に起きた様々な出来事に疲弊していたこともあり、最終日はシャワーを浴びて速攻就寝した。

 

今回、トルコに行けたこと自体は良かったと思っている。特に、カッパドキアで天候に恵まれて気球ツアーで幻想的な朝日を見れたのは本当に幸運である。

トルコの治安は悪くないし、私自身も危険な思いは一度もしなかった。ただ、面倒なことやストレスを感じることは多々あったので、トルコ旅行を検討している方は、男性を含む複数人での旅行をオススメする。

趣のある建物群に、美味しい食事――――西洋から見ても東洋から見ても個性的かつ魅力的な観光地であることは、いずれにせよ、間違いない。

 

※【コロナ禍の欧州旅行】シリーズの記事一覧は以下のリンクよりご覧いただけます。

monamilyinparis.hatenablog.jp

 

 

【コロナ禍の欧州旅行】フランス・コートダジュール編 ~行きは地獄・帰りは天国 夜行列車の人間模様~

「ニース発の夜行列車降りた時から~ パリ・オステルリッツ駅は雪の中~♪」

と、歌いたくなるくらい、2021年夏のニースとパリの気温差は激しかった。

 

私は1年4ヶ月の在仏生活で計13ヶ国を旅行したが、前半はロックダウンやら制限だらけでパリから出られなかったし、学校の試験や課題で忙しかった時期は全く旅行していないため、実際は正味半年弱で13ヶ国旅行したと言った方が正しい。
これはあくまでも国数で、1ヶ国で複数都市を巡っているケースもあるため、都市数だと50都市以上は訪問しているはずである(GoogleMapから「あなたは先月35都市を訪問しました」みたいなメールが届いたこともあった)。

その中でも、2021年夏は本当に沢山の都市を訪れることができた。友人と一緒でも、1人でも、とにかく常に旅行していた。エッフェル塔に咲き乱れる至極の花火を鑑賞していた7月14日のフランス革命記念日を除き、パリでは洗濯しかしていなかった気がする(荷物を減らすため、周遊旅行はせずに常に弾丸旅行で、1つの旅行が終わると毎回パリの自宅アパートに帰宅していた)。

 

そんな2021年夏の思い出のうち、今回お話しするのは、フランス屈指のリゾート地であるニースを中心とするコートダジュール旅行についてである。

私が訪れたのはニース、エズ、サン・ポール・ド・ヴァンス、マントンだ。

美しい街並みと海や美味しい地中海料理のおかげで世界中で大人気のリゾート地だが、私の中では一人旅に適さない観光地ランキング2位(ちなみに、1位はトルコ)なので、もしコートダジュールに行ってみたいという人がいたら、友人や恋人・家族などと一緒に行くことをオススメする。
なぜ一人旅に適さないかというと、とにかくリゾート地だからだ。リゾート地と言えばくつろぎと安らぎや、景色の良いレストランでの美味しい料理である。
ゆっくりとした時間は1人だと手持無沙汰になるし、景色の良いレストランは1人だとコスパが悪いのだ。勿論、日頃の疲れを癒しに1人で気楽のんびりと過ごすことが目的の人であれば1人でも楽しめると思うが、私が1人で旅行する醍醐味は、絶景の写真を撮るために東奔西走することなので、まったりのんびりするリゾート地に行くなら誰かと一緒の方が良いと実感した。

ということで、私は写真目的にこの地を訪れたため、2つの都市と2つの村を巡るとはいえ、丸2日あれば十分だと思った。
2日間を朝から晩までフルに活用し、かつ費用を最小限に抑えたいと思っていた。

 

そんな私が目を付けたのが、夜行列車だった。
フランスの夜行列車は一度廃止されたものの、環境意識の高い若者をターゲットに運行が再開されることなったという。

私は日本でも夜行列車は一度も乗ったことがなかったので、ぜひこれを機に利用してみたいと思った。
そして、移動しながら睡眠がとれるので、時間とお金を節約できる点もとても魅力的だったのである。

 

だが、現実はそう甘くはなかった。

パリのオステルリッツ駅で列車に乗った私がワクワクしながら二等客室のドアを開けると、そこには予想以上に狭すぎる部屋に3段ベッドが2つ置かれていた。
私は一番下の段だったが、ベッドに腰を掛けると頭が天井にぶつかるので、起き上がることができない。

しかも、30年以上前の携帯電話がない時代の車両を使用しているため、部屋の中にコンセントが全くない。早朝に目的地に到着して「さあ、丸一日観光するぞ!」という時には既にスマホが充電切れという予想外の事態になりかねない。
客室を出ると、1車両に2つほど、窓際にコンセントがあったが、これを大勢の乗客たちが順番に使ってスマホを充電するのかと思うと絶望的である。

夜行列車とはいえ、ハイシーズンかつ直前予約ゆえか結構良いお値段を支払っていたので、あまりの環境の悪さに衝撃を受けた。
先述の通り、物凄い勢いで各地を旅行しまくっていたので、1つ1つの旅程について事前に詳細に調べる余裕がなく、夜行列車の客室内のことは全く事前リサーチをしていなかったのだ。

無駄にスマホを触っていると電池を消費してしまうし、消灯時間までどうやって過ごそうかと途方に暮れて横になっていると、向かい側のベッドの胡散臭い雰囲気の中年男性が話しかけてきた。
何を言っているか理解できず、「英語でお願いします」と伝えたところ、┐(´д`)┌ヤレヤレという表情で「フランスに住んでるならフランス語を話せ」と怒られたので、とりあえず「スミマセン」と謝る。
現地語が話せないのは自分が悪いとはいえ、これからリゾート地に行くというのに、こんなボロボロの夜行列車の矮小な二等客室の3段ベッドで見知らぬオジサンから怒られている夜。シュールすぎる。
しばらくすると、そのオジサンはチョコレートをくれた。その後、オジサンは他の乗客にもチョコレートを配り始めた。日本でもよく見かけるタイプのただの暑苦しくて世話好きな田舎のオジサンのようだ。

最早このオジサンのことはどうでも良かったが、とにかく夜行列車自体の居心地が悪かったので、さっさと寝てしまうことにした。
犯罪防止のためか、かなり頻繁に車掌が見回りに来たため、足音で中々眠りにもつけなかった。

 

翌朝、ニースに到着すると早速ホテルに荷物を預けた。
海沿いに位置する南フランスの美しい街並みに、前夜の疲れも吹き飛んだ。
宿泊先のホテルも中々気の利いた感じの部屋で、伝統的なフランスっぽい建物の小さな部屋で、窓から見える街並みも可愛らしかった。

ホテルの受付係は話好きの明るい女性だった。そこそこ年配のフランス人にしては英語が堪能だなと思ったら、スウェーデン人だった。「幼少期に姉の留学に付き添い仙台に住んでいたことがあり、その頃は日本語が話せたが、もう忘れてしまった」と話していた。彼女曰く「日本語は簡単ですぐに習得できたがフランス語は難しく勉強が大変だった」とのこと。「ほら、フランス語は難しいんだよ(・´з`・)」と昨日の夜行列車のオジサンに言ってやりたい気持ちになった(笑)

 

ホテルを出ると、絶景エズ村に向かうバスに乗りこんだ。
さすが夏のリゾート地、人が多かった。コロナ禍でもこれだけ多いのだから、常時は一体どれだけの人が集まるのだろうと思った。

エズ村は石造りの建築が特徴的な町である。石造りの村は他にも沢山あるが、エズは特にフォトジェニックな街並みで人気な観光地である。

 
 
 
 
 
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有名なのが、丘の上にある植物園からの見晴らし。植物園のチケットを買う人の多くが、植物園自体の見学ではなく、この展望台に登ることが目当てだと思う。
この植物園のチケットを買うのも、そこそこ列に並んで待つ必要があった。

 
 
 
 
 
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エズを一周して満足すると、一度バスでニースに戻り鉄道でマントンという街へ向かった。
コートダジュールには、バスや車で移動する必要のある小さな村々の他に、電車で移動できるいくつかの都市や町があるが、私が今回電車で訪れたのはマントンのみである。というのも、基本的に都市・町はどこも似たようなリゾート地で、特別何か目的がない限り、一番華やかなニースだけ訪れたら十分だと思った。

友人や恋人とのんびりバカンスを楽しむのであれば、有名観光地であるカンヌやモナコに足を運んだと思うが、今回は一人旅でフォトジェニックなスポットに狙いを定めていたので、事前にInstagramで見て一目惚れしたマントンという街を訪れることにした。

実際、この旅行のベストショットはマントンで撮った1枚。
マントンのカラフルな建築とビーチの写真を撮ることが、私の1つの目的だったと言っても過言ではない。
尚、午後に訪れたところ逆光で撮影に苦労したので、写真目当ての場合は午前中の訪問をオススメする。

 
 
 
 
 
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マントンのビーチはコートダジュールで最も美しい場所の1つだと思うが、撮影さえ済んでしまえば、他の都市と同様普通のリゾート地であり、特段やることのない場所である。

写真撮影に満足すると、その日はニースに戻り、ニースの海辺や街中を散策した。
コートダジュールの海沿いのリゾート地を楽しみたければ、ニースだけでも十分である。

パステルカラーの街並みが何とも可愛らしい。

 
 
 
 
 
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尚、今回の記事には残念ながら地中海料理に関する話題はない。というのも、先に述べた通りマシンガンのように旅行を繰り返していたため、欧州の料理に身体が疲れてしまっていたのと、1人の時はサクッと食べてサクッと次の行動に移りたい性分なので、誰かとゆっくり過ごすことが前提の海沿いのレストランはコスパが悪すぎたのだ。

ということで、完全に身体が日本食を欲していたので、実際のところニースでは日本食ばかり食べていた。
しかしながら、ニースにもクオリティの高い日本人経営のレストランが沢山あり、地中海で獲れた新鮮な魚で握ってくれる寿司屋や、地中海の野菜をふんだんに使用した定食屋など、結果的にコートダジュールならではの美味しい食事を楽しむことができたのもまた事実である。

 

翌朝はまたバスに乗り、サン・ポール・ド・ヴァンスという鷲の巣村に向かった。公共交通機関での移動が可能で個性的な村となると、やはり先ほど挙げたエズ村とこのサン・ポール・ド・ヴァンスを選ぶのが良いだろう。
あまり上手く撮影できなかったが、エズとはまた違った趣のある村であった。

 
 
 
 
 
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今回の旅行は1泊4日と呼べば良いのだろうか、現地1泊の車中泊が2泊だったので、丸2日間観光することができた。
鷲の巣村からニースに戻ると、夜行列車の時間までニースの撮影スポットを巡ったり、単なる散歩を楽しんだ。

ニースのビーチでは、こんな感じの写真を撮るのが楽しい。

 
 
 
 
 
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夕方、夜行列車に乗る時間となり、嫌々ながらも仕方なく駅のホームへ向かった。
この列車の酷さは既に往路で十分心得ていたため、何の期待もせずに客室に入り、ベッドの上に荷物を置くと、スマホを充電しに廊下に出た。

そんな時、5mくらい離れた場所で、1人の中年男性が窓に向かって奮闘しているのが目に入った。
往路に同じ客室に乗車していたオジサンとは正反対の小綺麗な男性だった。
窓を開けたいのだろうか、鍵の部分を触っては窓ガラスを持ち上げようとしている。

「窓を開けたいのですか?」

不意に私は男性に話しかけた。

すると男性は、

「うん、そうなんだけど、何か動かないんだよなこのドア・・・・お、動いたぞ!よし、開いた!」

と答え、見事に窓を開けることに成功した。

「この夜行列車は楽しいよ。途中、きれいに夕陽が見えるポイントがあるんだ。こうやって窓を開けて夜風に吹かれながら外を眺めるのは最高さ」

男性は話し続けた。物凄く綺麗な英語を話す人だ。
夜行列車が楽しいなんて、この人は正気なのだろうか。この時の私には全く理解できなかったが、夕陽が見えるポイントがあるなら是非見てみたいとは思った。

しばらくして乗客が次々乗ってくると、同じように窓を開けたくて困っている女性が別の車両に現れた。
それを見たこの男性は、すかさずその女性のところに駆け寄り、窓の開け方を教示した。
他にも車内で困っている乗客を見かけると、彼は色々と説明をして彼らを助けていた。

「あなたは車掌よりこの電車に詳しそうですね」

思わず私は零した。

「二等車は1部屋に三段ベッド2つなのに対して、一等車は1部屋に二段ベッド2つだけど、今は二等車もコロナ対策で1部屋4人までとなっているから、三段ベッドも真ん中を倒してしまえば二段ベッドになる。最下段の人は天井が広々使えて、一等車より快適になるよ」

「え、そうなんですか?」

彼は驚いた様子の私に客室を尋ね、中に入ると三段ベッドの真ん中をヒョイっと持ち上げてあっさり折りたたんでしまった。

「ほら、これで部屋が広くなっただろう」

男性の言う通り、本当に部屋が広くなった。
これでもうベッドの上に腰を掛けても頭をぶつける心配はないし、快適にのんびり過ごせそうだ。

よく見ると、私のベッドの向かい側の高齢の女性は子犬を抱いていた。
夜行列車で犬と同じ部屋で寝る日が来るとは夢にも思わなかったが、部屋が広くなって気持ちが高揚していた私は、最早何でもOKだった。
その時、この女性が何かを私に語り掛けてきた。
相変わらず私は理解できずに首をかしげていると、男性がすぐさま通訳してくれた。

「彼女、『この犬はいつも静かだから大丈夫なはずだけど、万一迷惑かけるかもしれないけどゴメンね』って言っているよ」

その後も部屋に車掌がやってきた時や他の乗客に話しかけられた時など、この男性が色々と通訳してくれて大変助かった。本当にこの列車のコンシェルジュのような男である。

 

さらに、この男性は他の客室も廻り、沢山の乗客たちに対して同様にベッドの中段を折りたたんであげていた。
しばらくの間、私はこの夜行列車のヌシのような人物の行動を唖然と眺めていた。一体この人は何者なのだろうか。

数分後、列車がニース駅を発つと、男性は最初に開けた窓のところへ戻ってきた。

「先程はありがとうございました」

私は簡単にお礼を言った。

「30年以上前と同じ車両を使っているから、コンセントは廊下にしかないし、設備もボロいけど、慣れれば快適さ。若い頃、僕はこの夜行列車には良くお世話になった。学校の修学旅行なんかもこの列車だったよ。だから、勝手は大体わかっている。夜行列車は一度廃止されて、つい最近復活したばかりから、車掌たちも不慣れのようだな。さっきも車掌が困っていたから、僕から色々説明してやったよ。ハハハ」

男性は窓の外を見つめたまま話し続けた。

「あと1時間ほどで夕陽が見えるよ」

眩しい西日が列車を照らす中、私はこの男性としばらく雑談を続けた。

お互いに相手の出自を探るような話はせず、ニースやコートダジュールの話やコロナの話などをしていたが、話の流れで私が日本出身だと話すと、彼は驚いた様子で、

「え、そうなの?僕は昔、もう何十年も前だけど、日本の航空会社に勤めていたんだ。パリのシャルルドゴール空港で働いていたけど、同僚は皆日本人だったよ。仕事中は英語で話していたけど、飲み会はずっと日本語だったから、僕の日本語も大分上達した。さすがに今はもう忘れてしまったけどね」

と話した。
この年代のフランス人男性でこんな聴き取りやすい英語を話す人は珍しいと思っていたが、空港職員だったと聞いて納得した。しかも、日本の航空会社。日本語まで話せるとは驚きだ(渡仏以来、なぜか私は日本語が話せる人と遭遇する確率が高めであった)。

男性の空港職員時代の話も興味深いものだった。当時は未だ東京からパリに直行便が無くて、ロシアで乗り継ぎが必要で渡航するだけでとんでもなく時間がかかったとか、色々な話を聞かせてくれた。

話している間にすっかり日が暮れ、車窓に映る南フランスの海辺の町も日没を迎え、おかげさまで美しい日の入りを楽しむことができた。

「この列車には寝台客室だけでなく、椅子に座るタイプの客席もある。そっちは基本ガラガラだから、食事をするときに利用するとちょうどいいよ。行ってみるかい?」

そう言って男性は私を別の車両に案内した。

彼の言う通り、椅子に座るタイプの車両は空席だらけだった。

「外の景色を見ながらここで食事をするのも楽しいものだよ。僕のサンドウィッチとデザートを半分分けるから、一緒に食べよう」

何から何まで用意周到な人だ。

食事を終えた我々は元の車両の廊下に戻り、消灯時間まで雑談を続けた。
消灯時間となり、車掌が何かを言いにこちらへやってきたので、さすがにそろそろお互い部屋に戻ろうということになった。
男性は「オヤスミナサイ」と日本語で挨拶をしてきたので、私はフランス語で「Bonne nuit」と答え、客室に戻った。

翌朝、この男性とはLinkedinで連絡先を交換し、別れを告げた。InstagramでもWhatsappでもFacebookでもなくLinkedinというところが紳士だと感じた(笑)

もう二度と会うことはないと思うが、この夜のことは一生忘れないだろう―――――。

 

それにしても、往路と復路、同じ夜行列車でここまで違うものかと驚愕した。
行きは地獄だと思っていた夜行列車が、帰りは天国のように思えた。

今でも、パリからニースに旅行に行くという人に、あえて夜行列車を勧めたいとは思わない。多少お金がかかっても飛行機の方が便利だし、日数に余裕があるなら鉄道でも日中の特急に乗った方が良いと思う。
私のように弾丸旅行で日数を節約したいなら夜行列車は役立つが、そもそもニースやコートダジュールのようなリゾート地は弾丸旅行で行く場所ではない。友人・恋人や家族などと一緒にゆっくりとした休日を楽しむべき場所なのだ。

だが、今回に限って言えば、私は夜行列車を選択したからこそ、こんな特殊で面白い経験ができたのである。

 

おかげさまで、Instagramでは先に挙げたマントンの写真が360以上のイイネ(Like)を頂くことができた。
その旅行のサイドストーリーであるこの記事も、同じくらい多くの読者の方に気に入っていただけたら大変ありがたい―――――そんなことを、ふと思ってしまった。

 

※【コロナ禍の欧州旅行】シリーズの記事一覧は以下のリンクよりご覧いただけます。

monamilyinparis.hatenablog.jp

【コロナ禍の欧州旅行】ハンガリー・ブダペスト編

2021年12月、ビジネススクールの授業と課題の合間を縫って、私はハンガリーブダペストに弾丸旅行をすることに決めた。

ブダペスト自体は小さな都市で、観光は丸1日あれば十分なのだが、私が1泊2日ではなく2泊3日の旅程を組んだのは、ブダペストに行く目的が夜景撮影であったからだ。

ブダペストの夜景は美しい。街全体というよりは、国会議事堂のライトアップがとにかく美しいのだ。

 
 
 
 
 
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はっきり言って、ブダペストは観光地としての見どころが少ないし、敗戦国にはありがちだが街並みも他の欧州都市と比べればイマイチである。
日本やドイツのいくつかの都市にも当てはまる話だが、敗戦国では歴史的な趣深い建物たちが焼け落とされ、戦後になって復興のために景観もへったくれもないuglyで中途半端な近代建築たちが矢継ぎ早建てられたというパターンが多いので、街を歩いていてもワクワク感がない。

それにもかかわらず、私がブダペストを心から楽しむことができたのは、上記のような欠点にも勝る国会議事堂の美しさのおかげである(付け加えるなら、食事も中々美味しかった)。

「この世で一番お気に入りの被写体は何か?」と問われれば、私は迷わずエッフェル塔と回答する。色々な角度や場所、季節や時間帯で違った顔を見ることができ、その全てが私を夢中にさせた。
だが、さすがにエッフェル塔には敵わないものの、ブダペストの国会議事堂も私にとっては非常に魅力的な被写体であった。私はInstagramブダペストの写真を9枚投稿しているが、そのうち4枚が国会議事堂の外観である。
違った角度・場所・時間帯に国会議事堂の写真を撮るためには、2泊3日は必要だった。

 

冒頭に掲載した写真は、1日目に現地に到着してすぐに撮りに行った写真である。冬の東欧は驚くほど日照時間が短く、この日の日没は15時台だったはずだ。同じヨーロッパでも、フランスは冬でも19時近くまで明るい(その代わり朝は9時頃まで暗い)わけだから、何とも差が激しい。
夜景は日没1時間後の空が最も映えるので、15時過ぎに空港に到着すると急いで市内に向かったが、夜景スポットに到着した頃には既に真っ暗だった。
それでも、オレンジ色の暖かい光に照らし出された国会議事堂の姿は、この世の物とは思えないくらい美しかった。
ホテルに荷物を置きに行く時間も惜しんで撮影に直行したため、肉体的にはそこそこ疲れていたが、そんなことはどうでも良いくらい写真を撮り続けることができた。

 

日が暮れるのが早いこともあり、飲食店が夜の営業を始める時間も西欧に比べると大分早い。パリでは大概レストランの営業開始は19時だったが、ブダペストでは17時台から営業開始しているお店も多かった。日本でも17時半位から営業する店が多いため、日本から直接ブダペストに旅行する場合は何とも思わないポイントかもしれないが、体内時計がパリでの生活に設定されて1年以上経過していた当時の自分にとっては驚きであった。

そして、ブダペストで食べた食事はどれも美味しかったし、価格もリーズナブルだった。とはいっても、これもパリ基準での評価なので、日本から直接ブダペストを旅行した人は違った感想を抱くかもしれない。
以前投稿したドゥブロブニクの記事でも述べた通り、東欧の料理は西欧の物と比べて日本人の口に合うものが多い。
パリで食べたら20€くらいかかりそうな豚レバーのグリルがブダペストでは6€で食べることができた。しかも味付けが日本人好みでメチャクチャおいしい。
一方、不思議だったのは、レストランで美味しいメインディッシュが6€にもかかわらず、クリスマスマーケットの屋台に売っているファストフード系の食事の方が10€くらいと高めであったことだ。一度、鮎のフライみたいなのを屋台で買ったところ、普通に美味しかったものの値段は西欧と変わらない10€だったので、この国ではレストランで食べた方が断然お得だと気付かされた。

日没が早いおかげで、夜20時には夜景撮影と夕食の両方が既に完了しており、ホテルに戻ってビジネススクールの課題のための同級生とのオンライン会議にも参加できた。
この時既に日没から5時間が経過していたため、夜更かしをしている気分だったが、未だ20時である。パリにいたら、夜が始まったばかりという時間なのだ。
それでも、オンライン会議が終わると私はすぐにシャワーを浴びて就寝した。移動で疲れていたのもあるが、外が暗くなって数時間経てば自然と眠くなるものであった。やはり人間は太陽と共に目を覚まし、眠りにつく生き物である。
更に言うと、この街には特別楽しみたいと思う夜の娯楽が無かったのと、高層ビルの殆ど無いヨーロッパの夜は東京と比べて格段に暗いのと、気温が低く寒かったことも、早く布団に入りたいと思った理由だった。

 

2日目の昼間は気になる観光スポットをいくつか廻った。
天気に恵まれ、写真も撮りやすかった。
やはり東欧の建造物というのは西欧とはまた違った趣があり、西欧の正統派のお城や教会に目が慣れてしまった自分にはブダペストの個性的な建物たちは真新しく新鮮だった。

 
 
 
 
 
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建築に関してどちらが好きかと聞かれれば、西欧の方が好きなのは否めない。基本的に、フランスやイタリアのロマンチックな宮殿や教会の方が好きだ。
だが、西欧は夏の間に散々旅行しつくしたこともあり、この冬はエキゾチックな東欧に興味が湧いていた。
物珍しいものに惹かれるのは、人間として自然な心理である。雑然とした無機質な高層建築物ばかりの東京はuglyだと私は思っていたが、おとぎ話に出てくるカワイイ建物だらけのヨーロッパで生まれ育った西洋人の友人に言わせれば「東京はSFの世界みたいでワクワクする」とのことだ。
「西洋人はこんなカワイイ街並みの中で暮らしてるってどういうことやねん!絵本の中の住人なのかコイツらは?」と思っていたが、彼らから言わせれば我々東京都民はSFの世界の住人だと考えれば、どっちもどっちなのかもしれない。

 
 
 
 
 
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見どころはそんなに多くないものの、日没が早いとなれば夕暮れから夜景迄の撮影ボーナスタイムもあっという間にやってくるため、そこまで時間的余裕はなかった。
昼食を済ませた後、数時間以内に日没が訪れるのだから、撮影スポットにも早めに移動する必要があるのだ。

特に、今回は世界一美しいドナウの夜景が見られるゲッレールトの丘からの撮影を目的としていたため、丘へ登るのにかかる時間も計算しておかなくてはならない。

詳細は私のInstagramストーリーアーカイブに載せているが、丘の頂上まで登り切ったものの展望台が工事で封鎖されていて中に入れなかったため、展望台が囲まれている柵の外のわずか数十センチほどの崖に立って写真を撮った(有名な観光スポットが工事中なのはコロナ禍あるあるである)。

苦労した甲斐があり、望み通りの写真を撮ることができた。

 
 
 
 
 
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日没1時間のマジックアワーが終わる頃には撮影を終え、足早に山を下った。
先程述べた通り、高層ビルの無いヨーロッパの夜はとにかく暗い。それが山の上となれば猶更である。時刻は未だ17時過ぎだったが、ゲッレールトの丘はとうに真っ暗だった。コロナ禍でなければ観光客がウジャウジャといて雰囲気が違うのかもしれないが、この時の丘で見かけたのはほんの数人だったし、皆目的が違ったのか離れた場所にいた。
治安の悪い場所ではないので怖さは感じなかったが、寒さも真実味を帯びてきたこともありサッと山を下りることにした。

 

翌日、最終日は国会議事堂見学ツアーに参加した。
以前パリの上院議会を見学したことがあり、ヨーロッパの議事堂は初めてではなかったこともあり、そこまで物珍しくは感じなかったものの、見ごたえがあり楽しいツアーだったので、ブダペストを訪れるのであれば是非このツアーは行程に組み入れることをオススメする。内部の見学写真はInstagramのストーリーに少し載せているので、興味があればご覧いただければと思う。

夜景の話ばかりしてきたが、国会議事堂は昼間の姿も美しい。離れても、近づいても、色んな写真が撮れる。

 
 
 
 
 
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先程、街並みはイマイチだと述べたが、漁夫の砦から国会議事堂を撮影した時に写る建物群は風情があって素敵である。

 
 
 
 
 
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尚、今回私は行かなかったが、ブダペストと言えば温泉も有名である。
温泉巡りも行程に入れたい場合は、もう少し余裕のある日数で旅行した方が良いかもしれない。

 

ブダペストは、初めてのヨーロッパ旅行で選ぶ街ではないだろう。また、行くとしても、日本からはるばる訪れるのであればチェコオーストリアなど他の都市とセットで周遊するケースが殆どだと思う。

したがって、「何が何でもブダペストに行くべきだ」と言うつもりはない。フランスやイタリアに行ったことがないなら、まずはそちらを優先した方が良いと思う。

それでも、自信を持って言えるのは、ブダペストの夜景と国会議事堂の外観は、私が数々のヨーロッパの観光スポットの中でも特に美しいと思える景色の1つであるということである。

少なくとも私と感性が近い人であれば、行って後悔することはないので、死ぬまでに一度は是非訪れてほしい ――――――。

 

 

※【コロナ禍の欧州旅行】シリーズの記事一覧は以下のリンクよりご覧いただけます。

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【コロナ禍の欧州旅行】クロアチア・ドゥブロブニク編~素敵なホテル担当者に感謝~

日本帰国まで秒読みとなった2021年の冬、オミクロン株の流行により各国は再び規制強化の方向に動き始めていた。

キリスト教圏内の国々ではクリスマス前後は観光地も基本休業なので、平常運転しているイスラム圏のエジプトやモロッコへ旅行をしたいと考えていたが、先に述べた感染症の状況を踏まえると、大陸を越えると最悪の場合フランスへ戻れなくなるリスクも無きにしも非ずだったため断念し、欧州圏内で目的地を探すことにした。

その後、12月全体の計画を色々考えた結果、クリスマスと年末年始はパリで過ごす予定を入れたため、旅行できるのは12/26~12/28の2泊3日となり、この3日間に観光地が休業しておらず、かつ天候が良い都市を選ぶ必要があった。
特に12/26は休業している観光地やレストランが多く、仮にネット上の情報で営業していると書かれていても、それはコロナ前にアジアからの観光客需要があった時代の話で、欧州圏内の旅行者しか見受けられない今年は休業しているという可能性もあり、油断できない。
また、冬の欧州はとにかく天候が期待できず、どこの都市も荒れ模様の予報が目立った。

そんな中、2泊3日でも楽しめそうで天候も良さそうなのがクロアチアのドゥブロブニクだった。
アドリア海に面する南クロアチアの都市、魔女の宅急便の舞台になったと言われている町である。

 
 
 
 
 
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一般的には夏に訪れる観光地なので、閑散期の12月はホテルの値段も安かった。元々物価が安いのもあるが、条件次第ではパリの3つ星ホテルよりも安い値段で5つ星ホテルも予約可能だった。

一番の問題はクリスマスシーズンの観光地・飲食店の休業情報だったが、5つ星や4つ星ホテルの担当者であれば、予約前でも質問すれば答えてくれるのではないかと考え、実際に泊まりたいと思った5つ星と4つ星の2つのホテル担当者にBooking.comを通じて連絡を取り質問することにした。

驚いたことに、どちらも返信が早い上に非常に丁寧だった。この事務処理能力の高さ・ホスピタリティは欧州では他に経験したことがない。
未だ予約していないのにもかかわらず、「営業している飲食店と観光地を調べて、明日までにリストにして送るわね!」と前向きな返信をくれたうえに、その日の夜にはリストを送信してくれた。楽しみにしていた城壁巡りとロープウェイは営業していること、数は多くないが飲食店も営業していることがわかり、ドゥブロブニクに行くことを決めた。
ちなみに、結局5つ星ホテルはBooking.comの価格変動システムの関係で値上がりしてしまい、私が考えていた予算を超えたので、4つ星ホテルの方を予約することにしたが、結果としてこのホテル「Bota Palace」の担当者がとにかく素晴らしい人間だった。

 

ドゥブロブニクに行く場合、夏季であればプリトヴィッツェ湖群国立公園にも立ち寄るのが定番コースだが、この公園は冬に行くような場所ではなかったため、今回はドゥブロブニクのみで2泊3日で丁度良かった。

ただ、2泊3日と言っても、冬場は飛行機の本数が極端に少ない上に乗り継ぎがかなり悪かったため、実質マトモに観光できるのは真ん中の1日だけであった。裏を返せば、ドゥブロブニクだけであれば丸1日あれば十分なのである。

パリから行く場合、一度ザグレブクロアチアの首都)まで国際線で渡航し、そこから国内線に乗り換えてドゥブロブニクに行くのだが、初日は日没後に到着し、最終日は日が昇る前にはホテルをチェックアウトする必要があった。
往路は国際線が遅延し、ターミナルに降り立つ頃には国内線の出発時間が過ぎていたので一瞬頭が真っ白になったが、そもそも次の国内線を利用する乗客の大多数を我々パリ組が占めていたようで、国内線は我々が到着するまで待ってくれていた。

空港からドゥブロブニク市街地も少し離れており、移動手段は市営バスかホテル送迎の2択となる。所要時間も利便性も差がないのに、価格は雲泥の差だったので、市営バスを使いたいと思っていたが、バス会社の公式ホームページや時刻表が色々適当でイマイチ信用できず、本当にバスは運行しているのか不安だった。
そんな思いを抱きながら旅行準備を進めていると、ホテルの担当者から連絡があり送迎要否を尋ねられたため「私はお金持ちではないので市営バスで行こうと思っているが、本当にバスが運行しているか不安。時刻表には○○と書かれているが12/26もこの通り運行しているか?」と話してみたところ、「あなたの言う通り、市営バスの方が良い選択だと思う!バスの時刻表は私が調べるから、少し待っててね」と言って、バスの運行情報を確認してくれた。コロナ禍の旅行情報は、現地語ができないと正確な情報を得ることが難しいので、本当に助かった。
結果、バスは利用可能であったため、送迎を頼むと数千円かかるところを数百円の出費に抑えることができた。
ちなみに、バスと言っても実際に来たのは6人乗りのバンのような車で乗客も他に1組いる程度だったので、殆どプライベート送迎と変わらない気がした。

東欧の日没は西欧より早いこともあり、市街地に到着した頃には既に真っ暗だったが、メインの大通りに並ぶクリスマスマーケットの出店のおかげで少し華やかだった。とはいえ、大きなものではなく、東京でいうと小さな下町の神社で行われるお祭りに並ぶテキ屋くらいの規模の小さなマーケットである(滞在期間が短いため、全てクレジットカードでやり過ごす予定で現地通貨を用意していなかったところ、このクリスマーケットは現金支払いのみ可だったので、一度も利用はしなかった)。

例のホテル担当女性からは「あなたが到着する時間には現地にいるようにするから、時間がわかったらWhatsAppで連絡してね」と言われていた。3つ星以下のホテルでは他国でも経験済みのパターンだが、4つ星ホテルでフロントが常駐でないのは珍しい。
とはいえ、ドゥブロブニクのような小さな町で、かつ閑散期なのだから従業員を常駐させる余裕がないのは容易に理解でき、全く不快には思わなかった。むしろ、先程から述べている通り、この担当女性は本当に親切で事務処理能力も高い人だったので、WhatsAppで適宜やりとりができて大変助かった。

無事ホテルに到着すると、彼女は明るく私も出迎えてくれた。チェックインを済ませ、部屋を案内してもらう―――――利便性、外観、内観の全てが気に入った。
とりあえず空腹だったので、彼女が教えてくれた飲食店「Taj Mahal Old Town」を訪れ、彼女のオススメのスープと肉料理を注文した。美味しい。観光地にしては良心的なお値段だし、とても満足した。彼女からWhatsAppで感想を聞かれたので、写真を添えてとても美味しかった旨返信した。
尚、私は翌日も彼女のオススメのレストランを廻ったが、毎回彼女に食べたモノの写真を送り感想を伝えた。どのレストランも本当に美味しかった。

翌朝、ホテルで出された朝食も飛び上がりたくなるくらい美味しかった。3種類の選択肢の中からオムレツを選んだのだが、大当たりだった。ワンプレートにオムレツとマッシュルームとサラダが載っていて、栄養バランスも良好。基本的に東欧の方が西欧より日本人の食生活に近いため、当たりの食事が多かった気がする。

朝食を済ませ、少し市街地を散歩した後、城壁巡りの入り口に向かった。天気予報が変わり、時間帯によっては大雨と雷のマークが出ていたため、天気が崩れる前に主要スポットを廻りたかった。
営業時間より少し早めに到着したところ、既にスタッフはいたものの「あと4分だから、もう少し待ってね」と言われた。
このスタッフといえ、ホテル担当者といえ、私が出会ったクロアチア人は皆フランス人並みにフレンドリーなのに日本人並みに事務処理能力が高く時間に正確である。

不思議なことに、私が城壁を歩き始めると、朝の時点では曇っていた空から次第に雲が消えてゆき、良い写真が沢山撮れた。

 
 
 
 
 
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午後はロープウェイで山頂に登り、展望台よりもさらに景色の良い場所を探して舗装されていない崖のような場所にも足を踏み入れながら撮影スポットを射止めた。
その時に撮影した写真が、このブログの冒頭で掲載した写真だが、御覧の通り、幸運にも午後まで空は晴れ続けてくれていた。

雷が轟き、大雨が降ってきたのは、私が早めの夕飯を済ませてホテルに戻った後だった。翌朝のフライトが朝6時台で、朝5時にはホテルをチェックアウトしないといけなかったので、早めに寝るために早めにホテルに戻ったのが理由で、天候は本当に偶然である。この時は本当にビックリするくらい運が良かった。

さらに嬉しいことに、ホテル担当者の女性から「あなたは明日朝早くてホテルで朝食をとれないから、代わりに私が弁当を作るわ」というメッセージが届いた。どこまで親切な人なのだろう。勿論、弁当といっても日本人が想像するような弁当ではなく、パンと果物とヨーグルトとスナックの詰め合わせのような簡易的なものなのはわかっていたが、それだけでも本当に本当にありがたかった。

滞在期間が短かったうえに、そもそもドゥブロブニク自体がとても小さな町でフォトスポットも限られるので、Instagramに投稿したのは2回×2枚=計4枚の写真だけだが、その裏には語り尽くせないほどのおもてなしが存在した(ちなみに、同じInstagramでもストーリーズアーカイブの方には食事の写真等も色々上げているので、ご興味があればご覧いただきたい)。
ジェラート屋さんやお土産屋さんなど、夏の繁忙期であれば賑わっているであろう店もその殆どが休業していたが、そんなことはどうでもいいくらい、幸せな気持ちになれる旅行だった。

在仏生活の最後の旅行に、この場所を選んで本当に良かったと思っている。

 

※【コロナ禍の欧州旅行】シリーズの記事一覧は以下のリンクよりご覧いただけます。

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【コロナ禍の欧州旅行】イギリス・ロンドン編

コロナ禍に旅行した12ヶ国のうち、最も入国ルールが厳格だったのがイギリスであった。EU・シェンゲン圏内の往来が自由になってからしばらく経っても、英国だけは中々その国境封鎖を解いてくれなかった。

そんなイギリスへ、漸く自由に旅行できるようになったのは2021年秋のことだった。
だが、依然としてルールはEU圏内の国に比べて厳しめで、渡航前・到着後2日目に抗原検査が必要で、かつ入国前に記入提出するオンラインフォームも他の国のそれよりも細かい内容であった気がする。

渡航前に到着後2日目の抗原検査を予約し、その予約番号をオンラインフォームに入力しないといけない。手間だし面倒だが、良く出来たシステムだとは思った。

コロナ禍に散々旅行したこともあり、入国規制等を確認するために様々な国の政府機関ホームページを見てきたが、イギリスはかなりユーザーフレンドリーでわかりやすいホームページを提供していた。ルールは厳しかったが、必要な情報が1ヶ所にまとめて書かれていたので、以前の日本の厚生労働省のホームページのように複数ページを確認しないと結論がわからないみたいなことはなかった。

 
 
 
 
 
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冬の欧州はとにかく天候の優れない日が多いのだが、この時のロンドンも曇りと雨のオンパレードだったので、写真を撮るのには相当苦労した。
まあ、ロンドン自体がそこそこ近代的な街並み(東京より田舎だが、パリよりは都会)なので、そこまでキャーキャー騒いで写真を撮る必要もなく、友人と食事や買い物、美術館鑑賞をゆっくり楽しめたので、十分満足している。

恐らく、一番ロンドンらしい写真が撮れたのは、以下の公衆電話ボックス。
ロンドンと言えば「赤」というイメージがあったが、茶色と白を基調とした建物たちの中にひょこっと現れる赤い電話ボックスとバスは予想通り可愛くて、もし私がこの町に住んでいたらメインの被写体として撮りまくっていたと思う(ポルトガルリスボンで言うと、路面電車のような立ち位置である)。

 
 
 
 
 
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どこの都市でも撮りたくなる「通りからひょっこりモニュメントが見える写真」は、ロンドンだと以下のような感じ。セントポール大聖堂へ続く道にロンドンバスが走っている。後方に見えるuglyな近代建築も歴史的な街並みに溶け込んでいると感じるのは、やはりロンドン自体がパリよりも近代的な都市で、近代建築も街並みの一部として既に馴染んでしまっているからだろうか。

 
 
 
 
 
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とにかく物価は高かったが、各国料理のレストランが充実していて、食事に困ることはない。定番のフィッシュアンドチップスも1度食べたが、あとは友人の従兄弟(イギリス在住)オススメのタイ料理や中華などを楽しんだ。

一部の美術館・博物館が無料で入れる一方で、有料の観光施設はとことんチケットが高い。1つの施設が結構広々としていて、真剣に見て歩くと時間が足りないので、無理に全てのスポットを廻ろうとせずに、興味のある場所に絞って訪れた方が楽しめると思う。

 
 
 
 
 
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正直、ロンドンについては観光そのものよりも、街歩き等を通じて感じたちょっとしたことの方が思い出に残っている。

まず、街中や電車の中で人々が話している言葉が(全部ではないが)理解できてしまうという状況が久しぶりすぎて新鮮だった。

フランス語がマトモに話せない人間がパリの街を歩いていると、街の人の会話はBGMのように聞こえている。たまに知っている単語が出てくるが、基本的に音楽を聴いているような感覚である。スペインやポルトガルを旅行した時も、フランス語以上に何もわからないので、会話は全てBGMだった。知らない外国語の会話がBGMが耳に入ってくるのも、異国情緒を感じられて好きだった。

これがロンドンとなると、皆が英語を話しているので訳が違う。
BGMではなく、家族の話やテレビの話や食事の話をしているのが耳に入ってくる。目からも耳からも入ってくる情報量が多すぎて、何だか気疲れしてしまいそうだった。
例えるならば、普段裸眼でお風呂に入っている視力0.01の人が昼間にメガネをかけて浴槽を覗いたら予想以上に汚れていたという時の衝撃に近い。イギリスでさえこれなのだから、日本語圏に戻ったら顕微鏡で微生物を見ているレベルで情報が入ってきて疲れ果ててしまうのではないかと危惧したが、後から述べる理由でそうはならなかった。

今回一緒に旅行したのは、同じくフランス語が殆ど話せないアメリカ人の同級生だったが、彼女は「パリは大好きだけど、やはり町の人たちと会話ができないのは寂しいから、やはり住むなら英語圏が良い。ロンドンに来て、久々に店員などと会話ができて楽しかった。何だかアメリカが恋しくなった」と言っていた(誤解のないように補足しておくと、彼女はアメリカ国籍で長年アメリカに住んでいるが、元々はマレーシア出身で英語は第2言語である)。

「ロンドンでは町の人と会話ができて楽しい」というのは私も同意見である。パリのデパートやレストラン等でも店員と会話をしていて十分楽しかったが、やはり自分がフランス語が話せないせいで会話は限定的だったのだと気付かされた。

一方で、「町の人と会話ができるという点で日本が恋しいのか?」と自分の問いかけた時、私は首を傾げた。
そもそも日本(少なくとも東京)では、町の人とフレンドリーに会話する習慣がない。他人とは必要最低限の会話しかしないので、日本語レベルがA2だろうがC2だろうが、会話の内容に差は出ない。

実際、私が東京で店員と交わす会話は、パリで店員と交わす会話と大差ない。いや、むしろパリにいる方が店員とフレンドリーに色々話せて楽しいと感じていた。
同じ文化の西洋圏で比べれば、言葉の通じるロンドンの方が通じないパリよりもよりフレンドリーに会話できて楽しいのかもしれないが、そもそも他人と会話する文化の無い東京から来た人間としては、パリでも十分楽しいのだ。言葉以上に文化の違いというのは大きいと、つくづく実感した。

 
 
 
 
 
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ロンドンとパリは近くて遠い。陸路で国境を超えることは、シェンゲン圏内であれば何度も経験していたので、圏外のイギリスとはいえパスポートとカバンを見せればすぐに電車に乗車できるのだろうと高を括っていたが、大間違いだった。

駅の片隅に大げさなゲートが設置されており、今までの人生で経験したどの空港のコントロールよりも厳しかった気がする。渡英の目的や、フランスで何をしているのか、ビザの有効期限に関することまで、細かく質問を受けた。同じシェンゲン圏外の旅行でも、トルコを訪れた際には空港でも殆ど何もチェックされなかったので、当たり前だが国による差が大きい。

 
 
 
 
 
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www.instagram.com完全に主観だが、ロンドンはパリと東京を足して2で割ったような街だと感じた。
パリよりは便利で暮らしやすいのかもしれないが、どうせヨーロッパに住むなら私はまたパリに住みたいと思う。勿論、ヨーロッパ諸国を旅行するうえでEU加盟国かつ地理的に利便性が高いフランス・パリが有利というのもあるが、単純に都市同士を比べても、私はパリの方が好きである。

とはいえ、ロンドンに住んだことはないので、もし機会があれば住んでみたいし、そのうえでキチンと比較してみたい。

きっと、何か新しい発見が、あるはずだ―――――――。

 

※【コロナ禍の欧州旅行】シリーズの記事一覧は以下リンクよりご覧いただけます。

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【コロナ禍の欧州旅行】フランス・マルセイユ編 ~18時以降外出禁止・博物館やレストランが閉鎖でも、最高に満足感のある旅行に~

2021年3月――――フランス国内のコロナ状況は芳しくなく、18時以降外出禁止ルールが続いていた。

これに加え、翌週からは更に厳しい規制が施行されるという噂が立っていたため、何が何でも今週末はパリから抜け出して弾丸で何処かへ行きたいという気持ちに駆られた。

何処に行こうかアレコレ考えた結果、TGV(フランスの新幹線)で3時間程度で行けて徒歩と公共交通機関だけでも観光がしやすいマルセイユに行くことに決めた。

また、内陸に位置するパリに住んでいたため、海が見たかったというのもある。

 
 
 
 
 
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上記の写真は、ノートルダム ド ラ ガルド寺院の展望台から撮影したもの。言うまでもなく絶景なので、どんなに時間が無くてもマルセイユに立ち寄るならここだけは必ず訪れてほしい。

ちなみに、私はパリのオスマン建築が大好きなのだが、町全体の眺望を考えた時にマルセイユの方が都市設計が優れていると思うのが、近代建築が伝統的な建築とうまく調和している点だ。全体的がオレンジと白の2色で纏められており、建物の形状もパリの近代建築のような醜さは感じられない。

 

御覧の通り、マルセイユ地中海に面した港町で、港に足を運べば沢山の船と活気あふれる地元の若者の姿を見ることができる。
同じ南フランスでも、ニースに代表されるコートダジュールは洗練されたリゾート地なのに対して、マルセイユはもっと雑然としていて、治安が悪いと非難されることも多い。
確かにヤンチャな若者が多い点は頷けるが、私自身は危険を感じることは全くなかった。主観だが、マルセイユは結構横浜に似ていると思う。横浜駅西口の五番街で見かける(今は知らないが少なくとも15年前は生息していた)類のような人間模様が繰り広げられているだけ。もし、マルセイユが危険な場所なら、横浜も危険な場所ということになる。
旅行ブログ等を読んでいると、「ここは治安が悪い」「行かない方が良い」と神経質になりすぎなケースが多い気がする。勿論、平和ボケしている人は気を付けるに越したことはないのだが、別に日本が安全かというとそうでもない場合もある。

19ヶ国を旅行したことのある私が危険な目に遭ったのは全て日本国内(というか実家の近辺)だし、国や都市だけでは危険度なんて測れない。

 

 
 
 
 
 
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上記は古き良き下町風情の残るパニエ地区。

洗濯物が外に干されていたり、電柱や電線が外に出ていたりするのはパリでは見られない光景なので、とても新鮮だった。

その他にも、船に乗って小さな島を訪れてみたり、漁師町の小さな区画を訪れたり、マルセイユには素晴らしい見どころが沢山あるが、キリがないので割愛する。

写真を私のinstagramアカウント(@monamilyinparis)に沢山掲載しているので、興味があれば是非ご覧いただきたい。

 

さて、あたかも普通に観光を楽しめたかのように色々記載したが、忘れてならないのが、この時期は未だフランス全土で18時門限や博物館・飲食店の閉鎖が続いており、せっかくマルセイユに来ても博物館や寺院などの屋内観光施設には一切入場できないだけでなく、地中海料理に舌鼓することもできなかった。

実際、昼・夜の食事は全てホテル近隣のパン屋さんで済ませたし、18時以降はずっとホテルに滞在していた。

これを聞くと、「え、そんなので旅行が楽しめるの?」と思われるかもしれない。だが、不思議なもので、私は十分すぎるほど満喫することができた。

全ては発想の転換である。食事や博物館にお金をかける必要がないのなら、浮いたお金でホテルのランクを上げることができる。外出禁止となる18時以降、夕日や夜景を楽しみたいなら、眺望の良い部屋を予約すれば良い。衛生上の理由でホテルが食堂を閉鎖するため、朝食は部屋まで運んでもらえるので、VIP待遇のような気分が味わえる。

 
 
 
 
 
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上記は全てホテルの窓から撮影した写真。平常時だったら18時以降も外出できる一方、観光客の波に揉まれて撮影は困難だっただろう。

余談ながら、19時過ぎくらいまで外でヤンチャな若者と警察が喧嘩していて、窓から眺めているのも中々面白かった(笑)

ちなみに、私が宿泊したホテルはGrand Hotel Beauvau Marseille Vieux Port というホテル。利便性・眺望・建物の美しさ・朝食・清潔さなど、申し分ないホテルだったのでとてもオススメだが、現在の価格をBooking.comで調べると250€以上することが判明。私が宿泊した時は170€位だったので、平常時に泊まれないランクのホテルに安価で泊まれるのもコロナ禍に旅行する醍醐味だと思う。


さて、【コロナ禍の欧州旅行】シリーズ第1弾「マルセイユ編」はお楽しみいただけただろうあか。もし、フランス旅行を考えているのであれば、マルセイユも是非目的地の候補に入れていただきたい。

このブログは未だ開設したばかりなので、旅行記以外にも何種類かのジャンルの記事を投稿していく予定だが、なるべく読者の皆様が面白いと思う記事を中心に書いていきたいので、コメント欄などに感想を頂ければ大変ありがたい。

(記事の種類によって文体も変わると思いますが、そのあたりもご容赦ください)

尚、この旅行記シリーズはInstagramアカウント「@monamilyinparis」の写真をベースにしておりますので、もし宜しければInstagramもフォローしていただけると嬉しいです。

 

では、またお会いしましょう!